羽尽き文鳥、羽盡神社へ

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よく見ればイガイガ頭

 自分の行動範囲内で気にしている神社は、川口市の芝地区にある。芝には『かじパン』と和菓子の『つくし』と、魅惑のお店が2つもあり、芝下の『かじパン』で買い物をし、芝宮根の『つくし』の手前にその神社はある。羽盡神社。これで、「はぞろ」と読む。
 盡=尽で、訓読みは「ことごとく」、ことごとく全部羽なら、それは鳥しかありえない。しかし、この羽は祭神の羽明玉命(はあかるたまのみこと)の羽のようで、鳥とは関係ないようだ・・・。しかし、所蔵されていた銅鏡(秋草双雀鏡)の文様はスズメが飛んでいる・・・。
 羽明玉命とは、どのような位置づけの神様なのか。ずいぶん別名があって、玉祖命(たまおやのみこと)・天明玉命(あめのあかるたまのみこと)・玉屋命(たまのやのみこと)・豊玉命(とよたまのみこと)・櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)とあり、共通するのは「玉」、天照大神が岩戸の奥に隠れた際に、いわゆる三種の神器のひとつ八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を製作した神様ということになっている。つまり、天皇のための装飾品を作る職人である玉造部の祖先とされ、現在では宝飾・眼鏡・時計などの業種関係者の信仰を集める。が、鳥とは関係ない。お名前の「羽」はどこから来るのだろうか?
 そもそも『新編武蔵風土記稿』から波曾呂(はぞろ)と呼ばれていたと仮定して、なぜ、「ぞろ」に「盡」(悉・尽)の字が当てられなければならないのだろうか?いろいろと、日本語以前の段階から込み入ったいわくがありそうな気配だが・・・。
 ま、難しいことは分からないので、深く考えず、とりあえず神鏡が双雀文となれば、ジャワ雀の文鳥に縁なりと見てOKとだけ考えておく。『つくし』からの帰りに、お参りしておこうと思ったら、社殿に氏子さんたちがたくさんいて、扉を開け放ち花見の会といった様相であった。この状況で、境内に乱入して、ウロウロするのもはばかられたので、今日のところは、いつもどおりに目礼して通り過ぎた。
 で、今日は8分から満開の桜を見ながら、帰ってきてしまったのだが、気になって調べ始めたら、ますますわからなくなった。そもそも、なぜ鏡背ではなく鏡面に文字があるのだろう?鏡面はピカピカに磨いておかねばならないもののはずだ。内容は、境内に案内があるようなのでそちらの写真を掲げてくれるサイトで確認すると、次のようなものとされている。
 「奉納神器 武蔵国足立郡芝阜杜 号 羽盡 曽呂比此云波 大明神羽明玉神也縁起之 書先年遇 池魚之決 予 恐 後人竟失 神号因録之如此而己維持 建武弐歳乙亥春三月十五日 大中臣実氏敬白」
 「号羽盡曽呂比此云波大明神及羽明玉神也」、号す「羽盡曽呂比此云波大明神」及び「羽明玉神」也、つまり、二柱の神様を祀っていて、主神は「羽盡曽呂比此云波大明神」と解釈するしかないと思えるのだが・・・。「羽盡曽呂比此云波」はどうなっているのだろう?これを万葉仮名風に読むなら「うづそろひし(云)は」、云は万葉仮名にはないが、中世的な当て字とすれば「い」だろうか。すると、読みは「うづそろひしいは大明神」・・・。さて、何の事やら・・・。
 中近世の境で住民層に断絶があり、「後人竟失」して読みがわからなくなってしまい、「羽盡曽呂」を「はづぞろ」と読み、「はぞろ」に変わってしまったのだろうか。・・・何もかも謎だらけの神社だ。今後の検討課題だなぁ。 
※川口市史で確認したところ、原文が全く異なっていたので撤回(28日記事参照)

 そう、羽尽は、今風に読むなら羽尽きる。羽が尽きた文鳥と言えば、ケコだ。なぜ尽きた状態かと言えば、、抜いたわけではないので、羽軸の根元は残っているので、次が生えてこないのだ。
 春は芽吹きの季節だから、早く羽も芽吹いて、尽く羽の状態になってもらいたい。

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