この頭模様はソウ。・・・裏にいるのは?
震災から2年ですか。個人の悲痛な記憶には「時のオブラート」が不可欠で、それを忘れるというのなら、忘れるべきだと私は思いますが(「忘却」ではなく「昇華」)、犠牲によって残された教訓は、忘れず活かしていきたいものです。
あの震災の犠牲者のほとんどは、千年に一度ともいわれる大津波によるものでした。本来なら、その悲運に遭遇してしまった方々を静かに偲ぶべきでしょう。それは被害規模の大小を問わず、これまでも日本人が行なってきたことのはずです。
ところが、あの大震災では、返す返すも忌々しい原発事故により、余計な心配事がまとわりついてしまいます。実に、情けなく腹立たしいところです。放射能を直接的要因として亡くなった人はいないにも関わらず、むしろそちらを主眼にして騒々しくするというのは、ずいぶん不謹慎ではないかと思います。俳優だった山本太郎という本業を忘れた彼も、残念あがらおかしなままのようですが(記事)。放射能関連では、その自分の行動や言動が、いったいどれだけの人に悪影響を及ぼす非生産的なものなのか、理解しようとしない傍迷惑なだけの人は、まだまだ多いようです。こういった類は、早めに風化していただきたいです。
ともあれ、亡くなった膨大な人たちに恥じないようにしなければならないと、特に何もしないまでも、今日は思いを新たにしなければ、と思っていたら、九州の大分市になったレスラーが、覆面姿で議会に出席しようと「ごろまいて」いるらしい(記事)。よりによって、一万五千人以上の同胞が、亡くなった、それもたった2年前という日に、何をしているのですか?≪・・・以下悪態が続き、なぜかクリス・ロドマンの悪口から「ドリームチーム」の話題に及び大阪の高校バスケ部の話へと展開するが、すべて割愛する≫
覆面など仕事着に過ぎないでしょう。仕事着が欠くべからざる人格表現なら、議会は前職なり家業の仕事着姿で溢れて、さぞや面白いでしょうが、そのような主張をする人がいますか?議員になったら、議員として振舞えば良く、追悼服喪の日に訳の分からないことを言って、九州の人に恥をかかせるのは控えるべきだったでしょう。
しかし、事故による放射性物質の影響は比較的に少なかった九州には、大陸側から黄砂なり何なり「渡りもの」が、(これは昔からなのですが)東日本以上に飛来し続けて、かなり問題視されてもいる今日この頃、これだけ脳天気なアンポンタンがいると言うのは、平和ボケでいられる幸せを感じないでもないです。少なくとも、山本太郎君よりも、精神的には健康そうです。
誰もが、それほどお気楽な方が良いかもしれないと、震災の日の特別番組の重い話を耳にしつつ、多少不謹慎に思ったのでした。
そう言えば、桜文鳥の顔は覆面的だとふと思った。
覆面を取ったら・・・ケコンドルか・・・。まだ換羽が始まらず、最近、飼い主から「女ルンペン」と呼ばれている。「ルンペン」はドイツ語で浮浪者の意味で、かなり差別的な使われ方をした言葉だが、子供のガイに追われる姿は、毛布などを羽織った昔の「ルンペン」に重なるのだ。人間の子供には、そういったものを無邪気にからかう残虐な一面がある。
ただ、ガイの場合は、たんに物珍しかっただけで、最近は追いかけなくなった。だが、最近のケコは、煮干をほおばると掃除中の飼い主のもとにすっ飛んできて(正面に突っ込んでくる)、カゴに送っていくように要求するようになっていて、飼い主は何やら乞食にたかられている心境になってしまう。
早く、もとのゴマシオちゃんに戻っていただきたいものだ。
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