本質的に、世襲政治家どころか世襲の職種、例えば歌舞伎役者のようなものは、(天皇家以外は)みんな大嫌いだが、世襲なら無条件に否定されるべきものとも思わない。その職種において、狭くとも、世襲で無くとも実力で出世できる余地があるなら構わないだろう。その一方で、世襲でも実力を伴っていれば、結構なことだと思う。
政治家についてなら、小選挙区制度である限りは、世襲を批判する必要はないと思っている。オヤジが誰であれ、対立候補より無能と有権者に見なされたら、「無党派層」と呼ばれる普通の人たちにそっぽを向かれて、議席を確保し続けることなど不可能になるだけだからだ。後援会なり各種団体なり、そんなものに属している者は、有権者の一部に過ぎないので、ちょっと風が吹いたらバッタバタ落ちるだろう(比例復活など無くせ)。それは、前回の総選挙における自民党の体たらくを見れば明らかではなかろうか。地盤・看板・鞄によって盤石には成り得ないのが、小選挙区制の良いところと言えよう。
今回、自民党の大物とされた政治家(あれらが大物・・・)が引退して、子供が出てくるので、民主党はそれを非難したいらしい。しかし、世襲の最悪なケース2例と、世襲でない口先男1匹が、トロイカなどと称して君臨し、それらを改められなかった無能集団が、今更何をかいわんやである。世襲にせよ世襲でないにせよ、ろくでなしはろくでなしであることを、満天下に晒し続けた3年余を、自覚する能力すらないのだろうか。それでも、沈みゆく船から逃げ出すネズミどもより、よほどマシな人間に見えてしまうのだから、困ったものである。
それにしても、この後に及んで離党など、何なのだろうかあの連中は。昔の政治家は好んだらしい中国の古典『菜根譚』に「権勢に依阿する者は万古に凄涼たり」とあるが、民主党の場合、主権者である国民に依阿、すり寄ってこびへつらって議席を得、与党として政治を左右する立場になったものの、無能で不見識なので、たちまち馬脚を表して、永遠に凄涼、つまり、恐ろしいまでの荒れ果て人気も何もない寒々しい状態になるだけと言うことになる。それは当然の帰結ではなかろうか。
個人的には無学なので、サイコンタンもアンポンタンも違いはよくわからないが、上の句の前は「道徳に棲守する者は、一時の寂寞たり」であることは知っている(みなもと太郎さんのマンガ『風雲児たち幕末編』で吉田松陰が言ってた)。中身の無い者こそ付和雷同(一定の主義・主張がなく、安易に他の説に賛成すること)に群れ集まり、一時の孤独をかこつ覚悟がない。付和雷同の結果生じた政党は、やがて雲散霧消、蜘蛛の子を散らすことになることくらい、何しろ現在進行型でそうなっている政党が目の前にあるのだから、たやすく理解できるはずだが、平均寿命を超えた大年寄りからして、同工異曲にそれをまた始めようとするのだから、何をかいわんやである。
自民党に不満があり、社会党に期待したが(「山は動いた」by土井たか子)、時代遅れの役立たずなのが露呈して、急激に減退、自民党の仲間割れを経て、それに変わり得る新党の出現に期待したが、社会党のポンコツと田中派の成れの果てどもの受け皿になってしまい、そのツケをこの3年で払わされた。次は、民主党や自民党からこぼれたポンコツを拾い集めた、維新とやらの成長に期待しなければならないのであろうか。
このような迂路迂路(ウロウロ)したプロセスを、小選挙区制で総選挙繰り返しつつ経ていかなければ、政権交代可能な責任ある政党は育たないのだろう。忍耐は、まだまだ必要になりそうだ。
コメント