朝、不安を覚えつつ様子を見に行くと、ポンはエサを食べようと努力していた。エサを替えフタを外すと、やがて自力で食べ始めた。自分で食べられるなら、回復してくれるだろう。大いに安堵する。
午前中、上段のツボ巣に移動できないようなので、止まり木とツボ巣の位置を下げ、ツボ巣を下段にも設置した。
夜、放鳥時間にカゴに手を入れると(喜んで)乗って出てきて、それなりに飛ぶなど自主的にリハビリをしていた。飛翔能力は数日で完全に回復するはずなので、そうなれば、違和感なく遊ぶようになるかもしれない。
飼い主は、かわいそうなことをした、痛かったろうし、ひもじかったろうと、それなりに懊悩しているのだが、文鳥の側は、飼い主を恨んだり、ましてツボ巣を恨むようなことは、まずない(これを元凶として無くしてしまうと、その方が文鳥にとっては、日常の変化としてショックになる)。
ポンの場合、脚が絡まってからも、飼い主の前では、ツボ巣の中で巣ごもり状態のようにじっとしていたのだが、これは性格、もしくは本能でもあって、一部の人が誤解するような『隠す』行為とは考えない方が良い。飼い主なり大きな生き物が現れたら、緊張してじっとするのは、至極当然の反応なのである。「食べられたらいけないから、元気なふりをしよう!」などと、生命の危機に際して小知恵を働かせることが出来る生き物など、人間くらいのものだと、理解していたほうが良いかもしれない。
こうした場合(生命の危機を感じた場合)、文鳥でも、大騒ぎするのと沈黙するタイプに分かれ、ポンは後者だっただけのことで、飼い主を捕食動物として恐れて擬態に及んだわけではない。そもそも捕食動物の前で元気な素振りができるだけの体力があるなら、本能に従って体力の限り逃げるだろう。反対にじっとするのは、捕食動物に気づかれないようにするためだが、「気づかれないようにするため」だと人間的に熟慮した結果ではなく、本能として、無意識に行動していると考えるのが普通である。
このタイプ、性格の違いは、危機の種類によって結果が違うので、どちらも種全体としては必要となってくる。慌てふためいて逃げ出したために、「キジも鳴かずば撃たるまい」で、かえって獲物とされてしまうこともあるので、じっとしているタイプも必要なのである。こうした、同じ生物種の中でのタイプの違い、性格の違いの必要性については、最近、『働かないアリに意義がある』という本が興味深かったので、ついでに紹介しておこう。
さて、隻脚の文鳥、我が家では数十年以前、旧王朝時代の大昔に1羽いた。妹をめぐる兄弟喧嘩で片脚を失った文鳥。確か、大中小のチュー。それでも、さしてケージ内での生活に不自由はなかったと、かすかに記憶している。
文鳥は、健常でも、寝る時などに片脚になるように、ピョンピョンと飛び跳ねる時以外では、片脚であっても(慣れさえすれば)それほど不自由することはないらしい。ただ、脚で頭を掻けないのはかわいそうなところである。ただ、ポンの場合、幸い、脚先以外は残っているので、これを杖のようにして、かなり上手に生活してくれるかもしれない。
年齢的に、これから体力が衰えてくると不便になってきてしまうかもしれないが、しっかり対処していきたい。
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