いろいろ為している文鳥たち
少々軽率な人、自分の弱さに気づかない単純な正義漢が、「飼い主の資格はない!」などと、他人を非難するのを見聞きすることがある。確かに、言われる方にかなり問題があるケースも多いのだが、文鳥を飼育するのに必要な資格など無いのが現実であり、それを認定する『資格』はどなた様にも無い。
ただ、飼い主なら、自分の文鳥の保定くらい、自分で出来なければ、情けないことになる。緊急の折に、自分の文鳥をつかみ出すことも出来ず、アタフタするようでは、自分自身が情けなくなってしまうだろう、と思うのだ。
病気となれば、動物病院に入院させて任せきりとならない限り、家で保定して点滴して薬を飲ませたりしなければならないことも、珍しくはない。その際、「できませ~ん」で済むものだろうか?我が子同然の文鳥のためなら、まなじりを決して断固行わねばならないはずだ。では、平常時出来ないのはなぜか?甘えていると言われても仕方がないだろう。緊急時に必要なことは、平常時に覚えておくべきだ。
資格などないが、自分が自分の文鳥を守らねばならいことを、自覚しないといけないと思う。・・・引越しシンドイなぁ。
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