震災十ヶ月のコシヒカリ

 「天下国家のために」、日々ご活動になっているとオザワ氏は、中選挙区時代は10ヶ月前に被災された岩手県沿岸地域も含む選挙民の支持で、議員バッジを付ける身分になったらしい。以来営々と40有余年にわたる議員生活で、数多の不動産を有し、4億もの金銭を手元に置かれるに至った、とご本人が言われている(現金で4億超!1万円札に聖徳太子がどれほど混ざっていたのか、気になる)。
 「天下国家のために」私財をなげうち政治活動に励む政治家を、「井戸塀政治家」と呼んだと仄聞するが、今の政治屋は、どういったわけか歳費や印税をちょこまかと貯め込み、不動産を買う際にヒョイと出したわけだ。たいしたものではないか。さすが大物は違う。この話を聞いて、憂国の大政治家とみなせる人間は、冷静な判断能力を持たない信者か、直接的な受益者以外には考えられないのではなかろうか。
 否、そうしたごく一部の変わった人たちの期待に応えるためにも、今こそ、傷つき苦しむ郷土のために(生まれも育ちも東京の人間には、たんなる踏み台としての「地元」に過ぎないので、選挙区外になれば隣接地域でも「アウトオブ眼中!」なのか・・・)、手元にある潤沢な資金を生かすに相違ない。例えば、議員を辞職して、高田松原の復興に尽力すれば、私利私欲ではなく天下国家のための吝嗇であったことを、天下万民は知るはずで、政治屋との悪評は払拭され、百年後にも顕彰されることだろう。・・・なされよ。

 さて、数日前に、横浜の市民団体が、被災地のガレキ処理を横浜市なり神奈川県なりが受け入れるのに反対したとのニュースがあり、全国的に我が住む町の名を貶めてくれた。『Hamaosen対策協議会』という名称だそうだが、失礼ながら、放射能汚染よりこうした存在の方が、よほど有害だと私には思えてしまう。市民、県民の諸賢はどのようにお考えだろうか?何でも、子供を抱いた女性(横浜市在住)が廊下中に響き渡る声で「がれきを受け入れたら私たちの家族は神奈川県から出て行きますからね」と叫んだそうだが(記事)、正直に言えば、さっさとどこなと出ていってもらいたいと、生まれも育ちも横浜の人間としては、申し上げたいところだ。
 何を心配しているのか?もし、産業廃棄物による重金属やアスベストによる健康被害を心配しているのなら、あの無分別状態では心配しても当然だと思える。何しろ一切合財津波でさらわれたのだ。問題性の多い物質が濃厚に蓄積されている箇所が無いとは言えない。しかし、彼らは放射能だけを心配しており、曰く「1キロあたり100ベクレル以下」でも「安全か疑念が残る」から嫌なのだそうだ。しかし、東北地方で津波被害を受けた岩手県の中部以北より、神奈川県は距離的に事故原発に近く、後述するように当時の気象条件により、距離的には近い北側よりも、放射性物質が多く降り注いでしまっているはずである。つまり、より安全地域のガレキに付着した放射性物質を怖がるなら、さっさと箱根の山を越えて遁走する以外にない。「1キロあたり100ベクレル」程度の場所なら、ピンスポットとしてなら神奈川なり横浜のそこら中にあるはずなので、そうしたの地域に住みながら、放射能汚染という意味ではよほど安全と考えるしかない地域のガレキを忌避するなど、まるでおかしな話と言わねばならない。無知蒙昧な妄想で金切り声を上げるなど、哀れであり滑稽であり、迷惑千万で目障りなだけだと、横浜市民の一人としては思うのである。
 言うまでもなく、「東北」を放射能と結びつけるなど、まるで科学的ではない。東北地方はとてもとてもとても広く、事故が起きたのは、関東地方に隣接する東北地方の南部なのが事実なので、関東人が「東北」を危険視するなど、お笑い種でしかない。奇妙ではた迷惑な妄想を膨らませる暇があるなら、お子様への教育の意味でも、まずは地図くらい眺めていただきたいものである。確かに、横浜市中心部は事故原発から、250キロも離れているが、岩手県でも宮古市辺りになればより離れている。現在の空間放射線量で見ても、事故原発の北方100キロ余の宮城県仙台市のそれは、毎時0.05マイクロシ-ベルトという微量で、神奈川県でも南部の海沿いに所在する茅ヶ崎市とほぼ同じである。そのようなものは、事故前と変わらない数値で無意味だというなら、放射性セシウムの土壌汚染の観点を含め、より詳しくは、文部科学省の放射線量等分布マップを参照されると良い。差別できる相違などどこにもないのがわかるはずである。
 すでに繰り返し指摘されているので、放射線汚染に過敏な人なら、耳にタコが出来ているはずだが、念のため書いておく。事故発生時、水素爆発で巻き上げられてしまった放射性物質は北に流れ、宮城県以北で降っていた雨に遮られることで、県境付近に降下して飯館村などを比較的に高レベルに汚染し、一部が奥羽山脈と阿武隈山地の間、いわゆる中通りを南下して関東地方に入り込み、やはり一部雨が降っていた千葉県と東京都の境付近に、周囲より若干高い汚染を残すことになったと、その汚染状況からも推察されている。距離と汚染度は比例するわけではなく、津波の被害を顕著に受けた宮城県や岩手県沿岸部、つまり大量に発生したガレキの処理に困っている地域の放射能汚染の程度は、関東地方並みかそれ以下なのは、明白な事実なのである。高田松原の被災松の時と同様で、心配する理由が分からず、その程度で心配する者が、いまだにそこに住んでいることは、理解不能と言わねばならない。

 さて、事故原発から250キロ、放射能の汚染レベルなら、おそらく宮城県仙台市とさほど変わらないはずの、神奈川県横浜市に住む私は、もちろん何とか言う市民団体のような「安全か疑念が残る」場合は排除する、といったメンタリティの持ち合わせはない。持ち合わせがあれば、とっくの昔にって横浜から退去している。
 まるで気にせず生活しているわけだが、最近の変化と言えば、コシヒカリを食べる機会が増えたことが挙げられよう。普通は食べない。なぜなら、モチモチ感が強いコシヒカリより比較的にパサパサしたご飯が好きで、そちらの方が総じて安いからだ。お米を研ぐのが面倒なので無洗米。従って、生協の宅配では、コシヒカリ以外の比較的安い無洗米を選んで買うことになる。産地は選ばない。ところが、最近コシヒカリが安かったので(5キロ2000円未満)、茨城県、続いて福島県会津産のお米を注文して食べることになった。
 いつもより、10パーセントは安いように思えるが、それがなぜかと考えた時、放射能汚染への根拠のない心配以外の理由が思いつかない。生協が、神経質なくらいに調べて、放射性物質が未検出であっても、買い控える人がかなりいるということで、そう思い当たれば、コシヒカリを普段食べなくとも、是非とも食べねばなるまい。値崩れが過ぎれば、生産者の生活は破綻するのである。そう思いつつも、九州のお米を選ぶなどという真似は出来ないし、その必要性は欠片も感じられない。
 心配は当然だとしても、心配して検査をした結果未検出とされるものを忌避する、その根拠はどこにあるのだろうか?少しでも危険性があるものを遠ざける?自分は良いが子供が心配?だから、検査をするし、未検出とされているのではないか。何のために検査をしていると思っているのだろうか。
 科学的な心配なら科学的に解消されねばならず、思い込みの心配なら気の済む程度の地域に遁走しなければ解消されようもない。被災地域やより汚染度の高い地域のことを思うなら、無根拠なレッテルを貼らずにその産品を受け入れるのが当たり前で、そうでなければ絆だの同胞だのとは、口が裂けても言えまい。排除ではなく、許容を前提にした考えが重要であり、そういった、おそらく人間としてあるべき姿を、子供に示せるのは親であり大人であろう。心したいものである。

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