テーブルに初飛来したタネ
震災から9ヶ月。悲惨な出来事は忘れようにも忘れられないので、覚えていようと努力するのは止めるべきだと、つくづく思います。
「震災を忘れてはならない」のは、震災から得られた教訓であって、個人的に経験したことを、毎日毎時毎秒と反芻し続けることではないはずです。「今はこんなに悲しくて、涙も枯れはてて、もう二度と笑顔には、なれそうもない」、としても、それでは、悲しみの堂々巡りで時間が止まったままになってしまうでしょう。
「そんな時代もあったねと、いつか話せる日が来るわ。あんな時代もあったねと、きっと笑って話せるわ」と、中島みゆきさんは『時代』で唄っていますが、もしかしたら、そんなことになったら、亡くなった方々を忘れ果てるようで、罪悪感を覚えてしまうかもしれません。しかし、それは誤解でしょう。忘れるのは悪いことではないです。細かなことを忘れることで、忘れるべきではないことが、純然と残されていくだけとも言えるのです。そして、万一、ほとんど忘れたら、それは自分の中に溶け込んだということではないでしょうか。
繰り返し繰り返し思い起こして立ちすくむより、亡くなった人の気持ちを胸に刻み込んで一緒に生きていきたいものです。「だから今日はくよくよしないで、今日の風に吹かれましょう」。今日の風、それに集中できる目先の日常的な仕事なり趣味、それを、気張らず力まず無心にこなしていくだけで良いのではないかと思います。
で、被災者ではない私の今日の日常は、『坂の上の雲』を見ることであった。さすがに重厚で素晴らしい。何だか人間造形が薄っぺらでご都合主義の大河ドラマとはまるで違う。
さはさりながら、あれを歴史上の真実と見てもらっては、少なくとも「伊地知さんがかわいそうだ」。原作は昔一度読んだきりだが、伊地知参謀長以下第三軍の指導部の作戦が頑迷であったため、旅順要塞攻略で多くの戦死者を出したとか、児玉大将の指揮で203高地を奪取したので、旅順艦隊を陸から殲滅できた、といった点はドラマと変わりなかったはずだ。しかし、これは世に『司馬史観』などと呼ばれているが、ようするに作家である司馬さんの解釈であって、思い込みに過ぎない面がある。細かく指摘するほど詳しくはないが、伊地知は間違いなく俊才であり、戦後は功労者として叙爵している。頑迷で神経痛で、愚痴ばかり言っていて、男爵になれるはずがない。そもそも、203高地を奪取して、そこから砲弾を打ち込んでくれれば良い、などと海軍の秋山少佐が主張するなど奇っ怪千万な話で、そのようなことは有り得ないが、それはともかく、203の山だけ確保しても、周囲の堡塁なり野砲陣地があれば、十字砲火されて、弾着観測のための測候所など瞬時も保てるものではない(203高地に榴弾砲を据え付けるわけではない。念のため)。
強固な近代要塞を攻略するには、万余の犠牲が必要であり、それを成し遂げたのは総司令官の乃木であり参謀長の伊地知であった。それが史実であり、妙な『史観』で誤解すべきではない。
このように余計なことを考えているうちに、嫌な思い出は薄らいでいくもので、そして新たな動き、まさに風を感じることもできるものと思われる。もちろんそれも些細なことで、例えば、今夜、タネが初めてテーブルに降り立ったのは、まさに新たな一歩であった。
タネ、毎晩、放鳥終了後に捕獲を拒むこの文鳥。かなり気が強く厚かましいキャラクターなので、数ヶ月も経たぬ間に、「エゴ」の別名を持つエコのようになるのではないかと思われる。
それを期待すべきか、恐怖すべきか、なるようになるだけで、風に吹かれるままである。
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