飼うのが簡単なので難しい

いつも元気な老文鳥(ハル)
飛行写真を撮りやすい行動が単純なハル

 昨日、今日、2日に分けて、「文鳥団地」の4つのメタルラックにビニールカバーをかぶせ、いつでも温室化出来るようにした。

 さて、文鳥の飼育書なり飼育に関するwebサイトなどを作るのは、よほど注意が必要なことだと認識している。文鳥は飼うのが簡単なので、飼育に関する記載は難しく、それに気づかない人が多い、といったことも認識しているつもりだ。
 つまり、文鳥飼育の場合、よほどの無茶をしない限り、生命の危険に至らないため、自分が行なっている飼育が「正しい」と思い込んでしまえるのである。正しいのではなく、致命的な間違いではないに過ぎないので、客観的に検証し、可能なら主観的に実践して確認することが必要となるが、そうした姿勢が見られるであろうか。
 「学びて思わざれば則ちくらし。思いて学ばざれば則ちあやうし」といった言葉があるが、飼育経験は浅いものの(数羽しか飼ったことがなく、天寿を全うさせたこともないような・・・)、いろいろと調べて知識を身につけた人は、得てして大昔の知識も最近の知識も、分けることなく一緒にして、批判的に検討することもなく受け入れてしまう。例えば『並文鳥』のような、今では「死語」でしかないものを、昔の飼育書あたりから知識として仕入れてしまい、それを現在でも通用するものと誤解する。むしろ、そうした言葉を知っているのを、「通」のように思ってしまっているのかもしれない。
 反対に、何年も何十年も何羽も何十羽飼って「プロ」などと思っている人は、得てして、致命的な間違いではないが、褒められたものではないことを繰り返しているだけのことも多い。飼育書の筆者にはこの手の人が多いようで、自信があるので検討をおろそかにするためか、まったく我流の思い込みが散見する。例えば、孵化10日などという幼い状態で、ヒナを親鳥から引き継がないといけない、などと思い込む。14日でも、17日でも可能だという事実を知らず、我流を行なってきたに過ぎないのである。
 知識は批判的に検討して身に付けるべきで、聞きかじりの知識を広めないように気をつけねばならない。経験上問題がなくとも(ペットショップの餌付けなどアワ玉をお湯に浸しただけの事の方が多い。真冬に店外に放置するのも普通だ。しかし、それを「正しい」と言えるであろうか?)、それが客観的に認められるものか、他人に納得させるには真っ当な理屈が必要だ。
 このように考えると、誠に難しいものだと思う。思うが書いてしまえるのだから、自分はよほど厚かましい。よほど自戒して、重大な間違いの無いように気を付けないといけない。

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