感情論には「黙れ!」が正解

 東京都が、全体から見ればささやですが、東北の被災地のガレキを受け入れ処理にあたったのは、実に賢明ですが、当たり前のことだと思われます。高レベル廃棄物でもないものを、拒絶する理由など全くないからです。
 地方行政府は、「ホウシャノウガー」などと、理屈なしの情緒的反応に惑わされてはいけません(本人は偏った情報を仕入れて論理的だと思い込んでいるので、小賢しく始末に悪い)。行政は、最大多数の最大幸福のための公益に資するための存在で、つまりは、慎み深くあまり意見を表明しない大多数の一般市民(サイレントマジョリティー)のために存在しなければなりません。公益のためには、大声を張り上げる一部の狂人とは、面倒でもしっかりと対峙しなければならず、それを怠ることは許されません。地方の首長や地方公務員は、無能な事なかれ主義に堕している評されないように、被災地の苦しみをしっかりと我が事として受け止め、論理に基づく毅然とした対応をとっていただきたいところです。
 その点、東京都知事の石原閣下は、昨今耄碌したかと勝手に心配していましたが(「最近の若い者は・・・」として、昔を美化するのは、古今東西共通の年寄りの繰り言。それを認識出来ず公で発言するのは、インテリジェンスを後退させた老化現象の所産と考える)、この点に関しては、実に立派な対応をされています(毎日新聞夕刊フジ)。「(放射線量などを)測って、なんでもないものを持ってくるんだから『黙れ』と言えばいい」、まったくそのとおりでしょう。これが、低放射性廃棄物なら、地域住民にそれなりに理解を求める必要がありますが、そうでなければ「黙れ!」で良いはずです。拒否する理由がないのですから、粛々と行うのみでしょう。

 自分だけは身奇麗でいたい、自分だけは安全でいたい、それは、仲間を踏みつけにし、不浄のレッテルを貼り、差別し疎外し見捨てることに通じる発想ではないでしょうか。排除の論理ではなく、可能な限りは受け入れることこそが、思いやりであり、絆というものだと、改めて思うところです。

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