「ガィガァー」と「エンガチョ」

 ガイガーは「害がぁ」に通じ、ガィガァーとガを強調して発音すると、ブロガーのように特定行動をする人を指す言葉になる・・・、なかなか意味深長ではありませんか。
 しかし、「ガイガー突撃隊」もしくは「ガィガァー」と称すべき、趣味で買い込んだガイガーカウンターを片手に自主的に放射線を測定する人が増えれば、まず間違いなく社会の厄介者として白眼視され、一歩間違えれば迫害を受けることになると心配しています。その行動は、自分の幼稚な恐怖心を満たすために、他人の社会生活の邪魔をすることになるだけになっているからです。

 「ガイガー突撃隊」もしくは「ガィガァー」の皆さんは、「真実を多くの人に知らせて、自分の身を守れるようにしてあげないと!」といった使命感を抱いているのかもしれませんが、それは錯覚か妄想です。そもそも、真実ですらありません。
 こういった人たちが依拠していると思われる専門めかした情報は、先に指摘したように、空間放射線量と土中のセシウム濃度の区別もせずに、安易にチェルノブイリと比較しているといった、まったく軽率極まりないデタラメとも言えるものです。そもそも、核反応炉そのものが吹き飛んだチェルノブイリと、構造上の優位性と不幸中の幸いにより、核反応炉そのものはとりあえず原型をとどめている日本のケースとは、拡散する放射性物質の濃度に大きな違いが生じて当然であり、実際、セシウムの土中濃度が、チェルノブイリ汚染区域に比べうるほどの地域が些少に過ぎないことから、明らかなのです。
 「でも、放射線量高いじゃない!」と言うのは、そもそも前提に齟齬があるからでしょう。おそらく、「チェルノブイリで居住禁止区域とされた地域のセシウム137の検出量は〇〇で、それは放射線量に換算すると××なので、それ以上の値が検出される地域は危険に決まってる!」といったところでしょうが、この論理は成り立ちません。放射線量はセシウム137のみが放出するわけではないからです。事故発生から5ヶ月も経過している今日では、既に放射性ヨウ素は消えているはずですが、セシウム134やストロンチウムなどなどの核種は存在すると思われ、特にセシウム134の影響は大きいはずです。
 放射線を発する放射性物質の一部に過ぎないセシウム137の濃度だけで、放射線量を推測するのは無理がありますし、そもそも放射性セシウムの土中濃度調査は、国の基準を満たさねば作付けできないため、各地の水田で測定され公表されています(↓千葉県)。
http://www.pref.chiba.lg.jp/annou/h23touhoku/suidendojo.html
 わざわざ炎天下に熱射病の危険を感じつつガイガーカウンターを持ってうろつかなくとも、汚染の程度はわかりますし、チェルノブイリとの比較も可能なのです。一体、何で、無駄な時間と労力を使う必要があるでしょうか?情報の隠蔽のみに邁進したチェルノブイリ事故当時のロシア政府(当時の国名はソビエト社会主義共和国連邦)と異なり、今の日本政府の問題は情報の隠匿ではなく、その整理処理能力の欠如にあります。せっかく情報は存在しているので、利用していただきたいものです。

 事故の初期に拡散した放射性物質が、少しの間を置いて千葉の東葛地方周辺に比較的に多く降下してしまったとの推測がなされているため、周辺都市民は心配されることでしょうが、その程度は、検出されたセシウムの濃度を見れば、チェルノブイリで移住を必要とされる地域などとは、比較にならないほど軽微なことだけは明らかです。降下してしまった放射性物質にしても、アスファルトやコンクリートといった透過性の低いものが地表を覆う都市の特性のおかげで、大半は「とっくの昔に」雨と共に下水管に流れていったと考えられます。いわば、自然による除染です。結果、浄水施設の汚泥にかなりな濃度のセシウムが検出されることになりましたが、それは除染の結果として喜ぶべきニュースだったのです(この点をまるで理解していないマスコミが多いようだ)。
 そのような、都市部の構造上の恩恵に浴さないピンポイント、吹き溜まりのような場所では、特に濡れ落ち葉の類はセシウムの吸着剤のような役割を持つようなので、セシウムが蓄積し比較的には高濃度となり、結果、比較的に高い放射線を発することになりますが、その範囲は極端に狭いので、道を行き来したりどころか、上を踏んで歩いて通っても、心配する合理的な理由はないはずです(温暖湿潤の日本の山林では、地表はすべからく落ち葉で覆われており、また土壌表層に根を張る植物の生育は驚くほど活発なので、チェルノブイリ周辺の自然環境と同一には考えられない)。

 現在、原発問題担当大臣として細野さんが頑張っていらっしゃいますが、なんの役にも立たなかった節電担当大臣の二の舞にならないように、残り少ない任期かもしれませんが、頑張っていただきたいものです。
 とりあえず期待するのはパフォーマンスではなく、情報を垂れ流すだけでなく、正しく解釈できるように国民を啓蒙していただきたいところです。具体的には、その場しのぎのバラバラで全体的な統一性のない放射性物質に対する基準値やら指示を、全て集めて整合性の取れるように見直し、見直した理由をしっかりと説明すること、特に廃棄物処理について明確にし、基準を緩めて普通に焼却できるようにした上で、比較的に高レベルの放射線を発する汚泥や焼却灰の処理を国が一括して行うこと、その処理施設は、事故発生地周辺に設ける以外にないので、県とは引き離し行政特区とした上で早急に開始すること、それに伴い誠に忍びないことではありますが、事故原発が立地する大熊町は「廃村」とし、住民の移住や荷物の持ち出しなどに万端の処置を行うこと・・・、その他もろもろ・・・。おそろしく仕事の多い大臣ポストですので、女遊びをしている暇はないでしょう。まさに政治家の本懐ではありませんか。今後「私を信じて」もらえるように、粉骨砕身頑張ってください。

 さて、汚いものにうっかり触れてしまった子に対し「エンガチョ!」と言って、その子から触られないように逃げ、「エンガチョ!」しないでその子に触れられると『ケガレ』が移ってしまう、といった他愛ない児戯があります。汚いものから防御する意味で「バリアー!」と言ったりもしたものです。
 実は結構古くからある風習で、民俗学的に興味深く、歴史学的にも網野善彦という人がその著『無縁・公界・楽』などで注目し、その方面でも話題になりもしました(なり過ぎだった)。『ケガレ』に触れた当人も、他の者に触れることで、『ケガレ』から自由になる、そして『ケガレ』とは無縁な、言わば悪縁を断ち切った(ちょん切った)状態になる・・・、「おお、そこは何者にも犯されない自由の地『アジール』!』といったわかる人にしかわからない解釈も成り立ちますが、より実際的には、『ケガレ』た者との縁をちょん切って、身の保全を図るだけのことで、穢れた汚い者と認定された子供を「エンガチョ!エンガチョ!」とはやし立て差別する、残酷なお遊びと言えます。
 私は、自費で買い込んだガイガーカウンターで「ここの線量が高い!」と言っている人の報道を見るたびに、「ここ掘れワンワン!」でもあるまいに、と舌打ちしつつ「エンガチョ!エンガチョ!」と言って回っている子供を見る思いがしています。「エンガチョ!」と言われた途端に、あら不思議、ただの枯れ葉の山が放射性廃棄物に早変わりし、危険近づくな!になってしまうではありませんか。黙って、清掃しておけば、何の騒ぎにもならなかったのに、まさに魔法のコトバです。
 何やら、達観した物言いになってしまい恐縮ですが、人間は弱いものなので、恐怖心に駆られると日頃の冷静さを失い、理知的であればあるほど、自分の持つ恐怖心を裏付ける情報を求め、結果、バランスの取れない偏頗な情報ばかりで、頭の中を恐怖心を増大させることになってしまいます。知りたい情報は恐怖心の裏付けなので、そればかりを無意識のうちに探してしまうのです。そして、その一種の妄想を裏付ける情報を得ると、その意味を考えずに喜んでしまう『確証バイアス』にはまることになります。また、周囲が無知で、何も知らないから平静でいられるのだと思い込んだりもするでしょう。
 しかし、放射能の問題にしても、核実験にせよ、チェルノブイリにせよ、JCOバケツ臨界にせよ、その他もろもろの電力会社の下請け作業員の被曝事故にせよ、考えるべき時は過去に何度もあり、その際にそれなりに知識を集めていた状態で、今回の事故を体験することになった人も多くいるのが現実です。そして、何があろうとも足元だけをしっかり見て余計なことは考えないか考える暇がない強靭な庶民は、さらに多くいるのです。前者から見れば、今更気付いて騒ぎ回る人はおっちょこちょいなだけであり、後者から見れば、自分たちの暮らしをかき乱す邪魔者以外の何者でもありません。お節介な行動力を発揮する前に、今少し冷静になり、恐怖心を煽る情報ばかりでなく、安心感を得られる情報も求め、自分の頭でゆっくりと情報を咀嚼し、特に被災地などの人たちのことを我が事として考えて頂きたいところです。

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