今日は京都もよく晴れたようで、大の字などに見えるイルミネーションも、綺麗だったようですね(↓毎日新聞)。個人的には、永遠に見たくない、失われた風物になりましたが。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110817k0000m040073000c.html
岩手県平泉での大文字焼きでは、被災地のガレキを燃やしたそうですね(↓読売新聞)。当然余計な検査はなしに。さぞや、美しく、見る人たちにお互いの絆の強さを感じさせてくれたことでしょう。私も、こちらの大文字は出来る限り近くで見たかったです。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110816-OYT1T00878.htm?from=navlp
今度は成田山が揺れているらしく、100件そこらの無知な苦情に押されて、検査するとか検査で検出されたら中止するとか、本当に言っているようです(↓朝日新聞)。護摩臭いだけで学習能力もなければ腹もすわっていないボーズどもですね。これでは実施したところで、既に絆は断ち切れてしまった感があります。明日からは、京都同様に、検査をすることに対する講義があるかもしれませんね。ご苦労なことです。http://www.asahi.com/national/update/0816/TKY201108160397.html
成田山新勝寺のホームページでは↓、冒頭に陸前高田などの被災地で慰霊法要を行なった旨が書かれていますが、その際に現地と結ばれた絆を、まさか自分たちで断ち切ることになろうとは、実際に法要を執り行ったお坊さんたちは、今、忸怩たるものがあるのではないかと思います。「野壷にはまって、さあ大変!」な状態にならないように、組織内部で頑張っていただきたいところです。
http://www.naritasan.or.jp/
さて、ついでに例え話をしてみましょう。
まず、突然に登場した野壺とは何か説明しましょう。これは農業の肥料に使用する糞尿を溜めておく穴ぼこのことで、別名肥溜め(こえだめ)と言います。表面が乾いていると、普通の地面と紛らわしく、よく間違って落ちてしまうことがあったようです。
さて、友達6人で歩いていたところ、不幸にしてB君だけその野ツボにはまってしまいました。胸まで浸かって自力では、はい上がれません。どうしますか?右隣で歩いていたA君はすかさず手を差し伸べ、自分も糞尿まみれになりながらB君を助けようとします。左隣にいたC君は自分にかかった糞尿の飛沫を気にして、一目散に帰ってしまいました。
そして、少し離れて歩いていたD、E、F君の反応もそれぞれ異なっていました。D君はなるべく離れた場所に飛び退いて様子をうかがい、E君はA君の手助けをしようと駆け寄り、F君は引き上げるのに使えそうな棒を探しに行きました。
あなたが、自分でもマネをしたいと思い、子供にこうあって欲しいと思うのは、A、C、D、E、F、どの子でしょうか?
さらに別のシチュエーション。今度はI・J・Kの3人が同時に野壺にはまってしまいました。真ん中のJ君は胸まで、その左右にいたI君とK君は足まで、糞尿まみれになってしまいました。その時I君は、自分のことを気にせずJ君を支えようとしましたが、そのため自分も顔まで糞尿がかかってしまいました。その様子を見ていたK君は、手出しをしないで一目散に逃げ帰り、足についた糞尿を落としました。とさ。
人間として、どのように思われますか?
不治の伝染病の患者を世話した看護師が、その病が伝染し亡くなってしまいました。あなたはその人の行動を、自分の命を犠牲にした無分別と見なしますでしょうか?私は、こうした自己犠牲を称えないと、人間社会は成り立たないと思っています。困った人がいれば手を差しのべる、これが社会の維持には必要なことで、怠惰な自分にはそういった英雄的行動は出来なくとも、否、実行出来ないからこそ、実行した人を称えねばならないのではないでしょうか?
まったく、「ガンバロウ」とか「絆」とか、原発事故のせいで、やたらと人のメッキがはげ落ちる今日このごろではありませんか。
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