昨日、京都では、京都産の割木と護摩木に被災地へのメッセージを書き込むイベントを行なっていたそうです(産経新聞)。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110815/trd11081521290027-n1.htm
記事の中で、東北の方が書かれた俳句が紹介されていますから、私もひねってみますか・・・。
被災者の 気持ち灯さぬ 大文字
東北は 見えず輝く 大文字
薪とても 一見ことわる 大文字
マシなのがありますかね。文字を大きくした3番目が個人的には好きですが、少し辛辣に過ぎますでしょうか。
自らの無知に基づく問題の本質を理解せず、子供を使ったおざなりのイベントで誤魔化そうとすると、「その京都産の杉の割木と護摩木とやらに、セシウムが付着していなかったか、表皮削って調べた上で使用しているのでしょうね?」と言われてしまうだけになります。自分たちで呼び寄せておいて、一見さんとして排除した理屈では、京都の子供の健康のためにも、その使用している木材の検査が必要なはずです。それをしていないのなら、その理由は何ですか?
ところで、九州は熊本県でさえ、荒茶から極々微量の放射性セシウムが検出されましたが、宇治茶が有名な京都の荒茶を、京都府は調べなかったのでしょうか?、三重県や隣の奈良県の荒茶では微量ながら検出され、遠く九州熊本県の荒茶からでさえ、極々微量ながら検出されているものを、生茶で「不検出」とだけ発表され、「宇治茶は不検出!」などと喧伝されているのを目にすると、やはり鼻白んでしまいます。もし、5、6月の時点で、荒茶から微量ながら検出したことを公表しておけば、「京都はセシウム0」などといった妄想が市内に蔓延せず、今回のような重要な守ってもらいたかった伝統行事のイメージの崩壊を防げたかもしれません。情報公開は、一時的に不利なようでも、やはり行なったほうが良いもののようです。
さて、次のような苦々しい体験談も目にしました(毎日新聞)。
http://mainichi.jp/select/opinion/yuraku/news/20110815ddg041070012000c.html
タクシーの運ちゃんに科学的な知識や哲学を求めても仕方がないですが、確かにあまりに庶民的な無神経さが剥き出しで、醜悪な話と言えます。それにしても、「福島県北の町を話題にしたところ」、それまで宮城県の話題では変化のなかった九州福岡県の運転手氏は、突然「形相を一変させ」「おたくさ。セシウムとか、いろいろ、付けてきたんじゃないの?」といった部分から、私は「フクシマ」の風評被害の大きさを再認識しました。
いかに県という区分は意味がなく、また福島県はその地理的特徴もあって、県内でも汚染の濃淡が極端なまでに異なる、と言ったところで、自分の頭で論理的に考える習慣のない人には理解はされないでしょう。無知な人の脳内で、原発事故と「フクシマ」が反射的に結びつき、福島県が差別されることになってしまっている現状には、深刻なものがあり、少しでも軽減する努力が喫緊の課題になっています。
もちろん、無知に基づく差別に対しては正しい知識の啓蒙が必要ですが、学ぶ習慣のない人に対しては、『福島第1』という名称を変更し、「フクシマ」と原発をワンセットで頭に刷り込まないようにする処置が有効かと思います。まずは、県という広域に対する条件反射としての差別が起きないようにするわけです。そもそも、県名のような広域の地名を冠した原子力発電所は、福島県と島根県以外にはありませんし、第1と第2などと紛らわしいです。それぞれ所在する町村の名称から大熊原発、楢葉原発とでも変えるべきでしょう。
「ヒロシマ」「ナガサキ」は、過去に起きた原爆投下の残虐性を思い起こさせ、その危険性を想起させる代名詞となっていますが、「フクシマ」は、現在、国内差別の代名詞となってしまっています。低放射線の影響など考えもしなかった時代と、今現在進行中の事態を安易に混同して、「フクシマ」名称による差別で、広域にわたる風評被害を招かないようにしたいところです。
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