愛嬌のないラックと悪クリ
同じ環境で、同じように育った兄弟姉妹でも、性格は異なる。人間だけのことかと思えば、実は他の生き物にも個性の違いは見られ、文鳥の場合は人間のようにそれが顕著だ。地球を唯一代表する知的生命体、霊長類と称する大型哺乳類の人間と、実に小さな鳥類で被捕食動物である文鳥に、なぜ共通性があるのか、これは永遠の謎と言う他にない。あまりにも、外見に共通性がないので、「人間のようだ」と言っても、飼ったことがない人間には想像も出来まい。・・・ザマミロである。
例えば、ラックは愛嬌がない。飼い主に親しみを持たないし、カゴに帰る際も指に乗るより自分でさっさと戻ってしまう。まるで手は掛からないが、物足りない。一方、愛嬌のかたまりで、指に乗らないとカゴから出て来られない箱入り娘ながら、極悪で、その飼い主の指をかじり倒し、油断していると首筋に強烈な一撃を加えるのがクリだ。実に手がかかるが、面白い。
どちらにせよ、いろいろなのが良いところで、どうすればどうなる、と予想がつかないところが、魅力的で飽きないところだと思う。その魅力に気づくかどうかが、文鳥無しの生活に耐えられるか否かの、ターニングポイントと言えるかもしれない。はまってしまえば、抜けられないのである。
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