私は子供がを名前を出して公に意見を表明することを否定します。理由は、子供だからです。ただし、子供だからろくな意見を言うわけがない、などと決め付けているのではありません。若い方が脳細胞も活発なので、当然「スルドイ!」指摘を含んでいるはずです。しかし、それはその子の周囲の大人たちに対して発揮していれば良く(学校の先生をいじめていれば良いのです)、情報社会の不特定多数に表明するのは不適切だと信じています。
なぜか?今後の学習などで必ずや変わるに違いない可能性を、拘束する結果になることを恐れているのです。無恥な人間でなければ、自分の発言にはある程度責任を持たねばなりません。まだ考え方が定まるべきではない成人前の子供、これから学び取るべき知識や知恵によって己の意見を形成していかねばならない彼らが、未熟な段階での己の発言により、その後の可能性を制約されるべきではないと思うのです。実際見てご覧なさい。中高校生くらいの時期に、一方の思想にかぶれたようなことを、何たら集会などにいかがわしい大人の思惑で担ぎ出されてペラペラ話してしまった当時は子供のその後の人生を・・・。
子供は語らず学び、青年は語るより動く、壮年は暇なら語り、老年は呆けるまで語る、そしてボケたら隠居、これが長寿社会の望ましい有り様だと信じています。
さて、ソフトバンクの孫さんという人は、老若男女、種種雑多な人が意見表明することが出来るツィッターなりのネット社会を、志のある在野の人々が立ち上がり国家的危機を救う、幕末維新期の草莽崛起(ソウモウクッキ)の状況と重ね合わせているような気がします。坂本竜馬を尊敬されているそうなので、草莽崛起の社会で国事に奔走した彼に、自分を重ねているのかもしれません。
しかし、日本屈指の実業家である以上、草莽では有り得ません。草莽とは、本来世捨て人の隠者のことですが、とりあえず市井にあっていろいろ考える人のことです。政治への影響力としても経済力としても、幕末の藩侯に比すべき大会社の社長が、「私は草木のような者でございます」と気取ってみたところで、それは空言でしかありません。影響力が強すぎ、その発言は下からのものではなく、トップダウンにならざるを得ないのです。
孫さんは万機公論に決するのではなく、責任ある大人の議論とは異なるチュンチュンつぶやくツィッターを多用され、昨今次のようにチュンチュンつぶやかれたそうです。
「直ちに健康被害無し」というのは、おかしい。「直ちに健康被害有り。但し症状が直ちに出るわけではない。出た時は、概ね手遅れ。」これが、正しい表現なのではないでしょうか
市井の庶民がこのような内容をチュンチュン言っても、何か一方的な知識で脳内を占拠された人が、思い込みでつぶやいているだけと見なされ、特に取り上げられはしないでしょう。ところが、大会社の社長様となれば、何らかの明確な裏づけを持った上での責任ある発言と見なされてしまいます。それにしても・・・「出た時は、概ね手遅れ」とは何です?現在、人が住んでいて、そこの放射線は下がり続けている段階にあって、すでに一番高い濃度の状態を経験した人たちに対し、軽々に言えることでしょうか?言いたいのなら、少なくともあの程度の放射性物質で、癌や白血病の発生率や飛躍的に上がって、それも皆治療ができないと信じられるような、根拠を示して頂きたい。そういったことにはならないとする方の根拠なら、チェルノブイリ後の科学的な研究報告で確かめられるので、チュンチュンつぶやく前に、ご勉強になられることをお薦めします。
私には、あの魯鈍な政府や学者馬鹿な人たちの擁護をする義理など欠片もありませんが、「直ちに健康被害無し」と言うのは、吸い込んだらたちまち急性白血病にでもなって髪の毛が抜けるとか、多少放射性物質の濃度が高かった土壌に触れたら、なぜか放射性熱傷を引き起こす、といった、無知な一般人が妄想していると、浮世離れした学者が仮定しての、まるで不器用でかえって不安をあおるだけの「ダイジョウブですよ」、に過ぎないものと理解して、せせら笑っています。隠蔽とか陰謀とか、とっさに出来るような器用な学者など、まず居ません(時間をかけて裏で示し合わせることは有り得る。「御用学者」とはそういった手合いのこと。個人的にウソをつけるタイプの賢さの持ち合わせは、「学者馬鹿」にはございません)。
「直ちに健康被害無し」の意を、より間違われないようにするなら、「直ちに健康被害を及ぼすほど大量ではありませんが、その状況が数日以上も継続してしまえば、将来的に健康に悪影響を及ぼさないと、自信を持って言えません」になるだろうと、私なら理解します。そして、放射性物質の新たな飛散を起こす新たな事態が生じない限り、生活環境に存在する放射性物質は低下する一方なので、過剰に心配する必要はなく、ただ、土壌などは通常以上に汚染されてしまい(あくまで比較の問題)、それが風などで巻き上げられたものを吸い込むのは、健康上好ましいとは言えないので、花粉症対策並みの注意は、念のためしばらく続けた方が良いでしょうね。くらいが妥当なはずです。
「大したことはないダイジョウブ」も「爆発的なことがあったら1ヶ月ほど逃げろ」も、どちらも科学的には否定できませんが(前者は経験に基づき、後者は可能性に基づく)、生活者レベルの常識的なところは、以上のような感じなわけです。
小さな可能性で心配すること自体は、別に非難されることではないですが、周囲を巻き込んで不安を助長されても困ります。例えば、3月16日の段階でアメリカ政府は、自国民に対して福島第一原発の80キロ圏外への避難を勧告し、20~30キロ圏内の住民に対し屋内退避のみを求めていた日本政府との違いを際立たせ、人々をより不安な気持ちにさせましたが、ほとんど根拠もなく、有り得ない程度の最悪の事態を想定しての勧告だったとのことです(時事通信)。実に頼りがいのあるアメリカ政府様でも、こういったものなのです。
可能性がわずかでもある以上、万全の安全策をとっても間違いとは言えないでしょう。しかし、事故の可能性があるから車を運転しない、といった心配ばかりしていたら、生活は成り立ちません。生活者には生活者の知恵が必要だと、私は強く思います。
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