奥の松酒造、会津若松市の造り酒屋さんかと思っていたら、本当は二本松市でしたか。早速いただきましたよ。春のしぼりたて。フルーティーで少々辛め。結構でございました。
盆栽の桜とプランターの桜草を愛でつつ一杯だけ飲んで、また一つ気になる記事があったので書いておきます。
犬のお父さんのCMで知られるソフトバンク社の孫さんは、この大震災後、実に精力的に活動されています。個人的には苦々しい面もありますが(簡単に広域の避難を呼びかけるのは軽率。出来る目処があって言わなければ無責任な扇動。ツィッターなどで脊髄反射をするのは、責任のあり影響力が大きければ大きいほど自粛すべきこと。行うなら偽名なり匿名が筋)、100億円を寄付するそうでもあり、真剣に危機感を持って事に当たられているのは間違いないと思います。この方も、どこぞのカンカラカン同様に坂本竜馬を尊敬されているそうですので、国家的危機に当たって国事に奔走する志士のイメージをお持ちになっているに相違なく、スッカラカンよりよほど志士とは言えるでしょう。その行動力と財力には敬服しており、また尊敬されている人物に恥じぬ行いと言えるかと思っています。
その孫さんが、また物議を醸しているそうです。「やりましょう。被災動物救済援助」「ペットも飼主にとっては、家族同様。愛動物家皆で援助しましょう」として、被災して野良犬かしたのか、飼い主が被災して世話が出来ない犬を疎開させる活動を支援するそうで、それに対しても、ずいぶんと批判も浴びているらしいのです。批判側の急先鋒は池田信夫さんという方だそうで、いろいろツィッターでの発言が記事で紹介されています。
個人的には、今現在こういったことを大見得を切る形で行えば、非難されるのは目に見えているので、粛々とやって頂きたかったのですが、私は孫さんの肩を持ちます。「犬だけ?」となると愛猫家や愛鳥家やその他からの批判もありそうですが、それは置いて、人間に依存して生活しているペットを守ることも、人間社会の豊かさを守る上では、必ず保持しなければならない不可欠な部分と考えているからです。
「災害の現場を見ればわかるが、救援活動は「捨てる」こと。10人を助けるために1人を見捨てることもある。犬が野犬化して困るというなら、檻に入れるか殺すべき。1万人以上も行方不明というのは、まだ救援の方法で救える人命があるということ」
このように批判される方のお気持ちはわかりますが、それは現代文明社会に生きる人間の発言として、如何なものでしょうか?言葉が過ぎているように、私には思えます。確かに、災害現場で生きるか死ぬかの状態にありながら、他人を助けず自分のペットを助けようとすれば、それは利己的な異常と指弾されてしかるべきでしょう。しかし、すでに数週間も経過し、曲がりなりにも避難所でも生活が可能になっており、ご不便な中にも復興の努力がなされるようになっています。そうした段階になって、人間が守る以外にないペット動物の保護にも目を向けるのは、当然の成り行きであり、それを行わない方がよほど人として無責任と言わねばならないのではないでしょうか。まして、他人の所有物に他ならず、また、亡くなった人が大切にしていたはずの「物」を、多少ゆとりのある状況になって、仇や疎かにするなど、人間性の欠如した人非人の仕業になりはしないでしょうか?
いつまでも非常時ではありません。むしろ平常に戻る努力こそが被災した場合の糧になるはずで、現代の平常とはペットも豊かに暮らす状態に他ならないと思います。それを完全に切り捨てて、復旧なり復興などが有り得るものでしょうか?ペット動物が嫌いな人は、ペット動物はたんに飼い主の趣味で飼われていると見なされているのかもしれませんが、趣味だけとしても、趣味を否定して汲汲と日常生活のみを送らねばならないものでしょうか?皆様はそのように無趣味で禁欲な生活をなさっているでしょうか?そして、被災者にそのような生活を送るように強制されるおつもりでしょうか?ツィッターなどで、まさに趣味的な無駄話を脊髄反射で行う暇があるのなら、少々自省をされたらいかが、と批判される危険を自覚されませんか?
もちろん、何事もペット優先の飼い主や人として生まれながらほかの生き物の生命の方を優先するような人がいるとすれば、そちらにも一言申し上げねばならないでしょう。
飼い主は人間で、人間社会に生きており、その人間社会で生きている飼い主が存在するからこそペット動物も生きていられるのです。つまり、人間社会は何よりも優先されねばならないのは当然ですね。
非常事態に際しては、自分のペットよりも他人の生命が優先されます。飼い主自身にとっては、見ず知らずの人間の生命よりも、何十年も伴侶として生活した最愛のペット動物の生命を優先したいかも知れません。しかし、それを実行したら、人間社会への裏切りとなってしまいます。そのペットに与えるエサは、人間社会があってこそ得られるものでしょう?その社会を無視して、ペット動物の飼育など有り得ません。人間でないものが飼い主になれるはずがないのですから、飼い主としての立場より、人間社会の一員としての立場が優先されなければならないのです。
したがって、非常時は、池田さんその他ペットに同情の薄そうな人たちの議論を甘受しなければならないでしょう。その覚悟が必要で、逆に言えば、その非常時にペット動物を保護できなくとも、自分を責める必要は無いのです。しかし、少しでもゆとりが出来てから気にするべきで、それはまだゆとりがない人たちの迷惑にならないようにしなければならないでしょう。こうした際の飼い主は、そういった感じでいるしかないと思います。
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