豆苗をむさぼるアト
首都圏では、震災への遠慮で今年の花見を自粛する人もいるらしいが、「テヤンデェ、バァ~ロー!、そういう時に花見すんのが江戸っ子のやせ我慢てぇもんだぃ!」と言いたいね。江戸っ子ではないけど。
もちろん、未だに収容されないご遺体が多くあること、ご遺体収容に尽力されている人たちのこと、被災地で不便な生活を送っている人たちのこと、被災地再建のために奮闘されている人たちのこと、そして、原発事故の終息のために身を粉にして働いている人たちのこと、その他このたびの震災によりご苦労されている方々のことは、心ある人なら忘れられるものではない。首都圏の人なら直接的な被害は受けなくても、原発事故による放射性物質の飛来や節電で、他人事であるはずも無い。しかし、すでに震災から3週間が経とうとしている。平常に復する努力なり心構えこそが求められよう。
普通の人は、他人に余計なことを言われずとも、『謹慎して自粛』は心の中でしているはずで、それも出来ない不謹慎な者は、何を言っても自粛などするはずがない。むしろ、そういった脳天気な者をこういった際は利用すべきで、花見で馬鹿踊りでもさせておくべきだと思う。馬鹿踊りも酒の肴くらいにはなる(周囲の迷惑になりそうな時は、同席者が責任を持って片付ける)。皆が皆、しかめっ面で謹慎していては、経済は萎縮し、被災地を支援するための余力も失われてしまう。クレージーキャッツの『余裕がありゃこそ』などという古い歌にも「そこで一発余裕を持とう。余裕があるから、気楽に行ける。気楽に行くからゆとりも出来る。余裕がありゃこそ、知恵も出る」とあるではないか。
したがって、花見をしたければしたら良い。それをとやかく言う者は、むしろ不見識だ。ただ、電力供給が逼迫しているので、照明は無しだ。野球も花見も昼間やれ。それだけのことだろう。
公園で桜の花見をする習慣の無い私も、鉢植えの山野草たちの開花を待ち遠しく思っている。特に桜草。品種名だけでも風流だ。白鷹・飛燕・松の雪・舞扇・美女の舞・墨田の花火ときたものだ!今日、被災地の宮城県仙台市のアイリスオーヤマから直送されてきたプランターに植え替えた(物流が復旧してきているのを実感)。盆栽の枝垂富士桜の蕾も大きくなって開花間近だ。開花したらビールでも一杯飲みつつ愛でようと思っていたが、わりに空きがあったので注文したネットスーパーには、ノンアルコール飲料しかなかった。アルコールが無くてどうする?とかくこの世はままならぬ(買出しに行ってまで飲む気が無いが、事のついでに買ってこよう)。
で、夜は365日鳥見・・・。豆苗をむさぼり食う、ジャイアンのアーちゃんか・・・。花のように可憐ではないが、これはこれで一見の価値ありだろう。善き哉、善き哉。
コメント