厨房にさえずり返す大人たち

 首相の悪口以外で書きたくなった・・・。 

 私は、自分の主張は論じるものでつぶやくものではない、と信じるので、ツイッターなるものに否定的だ。はっきり言えばろくなものではないと思っているし、それに興じる大人がいることだけでも大いに不思議だ。そもそも、「tweet」とは小鳥のチュンチュン鳴く声のことだそうで、文鳥愛好者にとっては毎日聞きなれたものではあるが、自分もチュンチュン鳴く必要も、大人のなりをしてチュンチュン発言している者どもに耳を傾ける必要などあるまい(実は文鳥を相手に「チュン・チュン」言ってはいる・・・)。
 ところで最近、中学校2年生でアイドルをしているとかいう女の子のブログにおける発言を、大の大人で著名な人物たちがツイートして持ち上げているといった記事を目にした。
 「微量とはいえ空気中の放射性物質を吸い続け、微量とはいえ、汚染された野菜を食べ続け、微量とはいえ、汚染された水を採り続ければ…影響があることくらい、バカな厨房2年の私でも分かる」
 いいえ、わかっていない。人間の体は放射性物質の貯金箱ではない。少しずつ摂取しても、少しずつ排泄されるので、一度に大量に飲んだり食べたりしなければ、ほとんど問題ないのである(貯まり続けて健康被害を起こすのは重金属。水俣病やイタイイタイ病を中学校でちゃんと勉強しようね!)。君、便秘でなければ、昨日食べたご飯はもうお尻から出て行っただろう?同じだ。貯め続けられたら、ダイエットなど出来ないのだ。
 ただ、悪影響が無いとは断言できない。短期間に微量でも放射線を発生させる物質が体内に存在すれば、細胞に悪影響を与える可能性はゼロではないのだ。限りなくゼロに近くても、ゼロではない場合、研究者と名の付く人たちは「無い」と白黒はっきりとは言えない。研究者には厳密差が必要とされるからだが、その白黒はっきりしないその態度に、研究者ではない普通の人たちは不安を持つことになる。そして、自分の表現で多くの人に不安を持たれた事を知った研究者は、今度はなるべくはっきり「無い」に近いニュアンスを用い始める。すると、少しばかり鋭敏な人は、さらに怪しいと感じることになる。悪循環。
 その状況に、不安を持つ少しばかり賢い人は、不安を裏付ける証拠探しを自分で始めて、さらに脳内は不安で太ってしまう。さらに、外で普通に生活している人を見ず、職場に対する責任感も無く、家の中に閉じこもりがちな人ほど、自分の中の不安を太らせて、不安なあまり周りにも不安な情報を発信するようになる・・・。迷惑な話だ。
 「電気が足らなくなるから、原子力が必要なんだじゃなく、火力と水力だけで、やっていける生活を一人ひとりが、やればいいんです」は、ありきたりで陳腐だと思われるかもしれないが、確かに正論。しかし、その存在で今までの生活が成り立っていたのも事実。自分の今までの生活を変えたいと思わなければ、原子力発電所を否定出来ないのが当たり前。「どんだけ、原発をかばうんだよぉ」と現状を肯定する他人を不思議に思うよりも、同じように原発の恩恵を受けてきた自分自身の生活を振り返り、これからどうすべきかを考えるべきだと思う。
 「人にどう言われようが、叩かれようが、はっきりと、自分はこう思っているんだって言うことを言いたい」、実に正しい。若いのに見上げたものだ。しかし、叩かれるには叩かれるだけの理由もある。それをしっかり受け止めなければ、無責任に思いつきで語る者と見なされる。そして、若ければ若いほど、頭の回転は大人よりずっとずっと速くても、圧倒的に知識が足りない。また、知識を生かすだけの知恵も無い。それくらいに謙虚に考えて、よりしっかり考えてから、発言することを望みたい。

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