「ホウシャノーはいらね~、牛乳(が)飲みてぇ~」だと思っていたのだが、本当は「が」ではなく「を」であったか・・・。
何の話かと言えば、昔、忌野清志郎が唄ったLove Me Tenderの替え歌の歌詞だ。発表された当時どう思っていたかって?「ロッカーめ、アホぬかせ!!」である。もちろん私も放射能を浴びるより牛乳を飲みたいが、原発を無くせとも思えなかった。実際その存在により豊かな社会になっており、道端に便利な冷蔵庫(ジュースの自動販売機)が転がっているわけで、そもそも舞台の電飾に照らされエレキギターを弾いている電力消費の権化のような奴らに言われても説得力がない。まさに「なに言ってんだ~」である。
つまり、私は原子力発電否定論者ではないし、今現在でも、日本で稼働中のそれを停止させるような非現実的なことを要求すべきではないと思っている(安全性では止めても当分は大して変わらない。福島第一にしても原子炉自体は安全に止まったし、その前から定期検査で止まっていた炉もあったが、同じように事故を発生させている。それは余熱がなかなか取れず、冷やす手段がなくなっていたからだが、こうした事情はその他の原子力発電所も同じ)。ただ、もはや新設は不可能で、他を考えるしかない状態になったと、津波で冷却方法がなくなったと耳にした時に反射的に思った。そして、地震と津波で大打撃を受けた最中に、いかに愚劣怯懦であっても一億の国民の首相には相違ないアレの関心をすべて持って行ってしまうような大事故の経過を、今現在も見せ付けられ(アレは自分が怖いから自分の立場においての為政者の優先順位【事故の個別対応よりも民生の安定】もわからず前のめったものと私には思える)、その考えは確信になっている。今後の電力確保のため必要だと主張されても、すでに足りない状態を押し付けられ、『真っ平ご免』と特に東日本の大多数に、はっきりくっきり刻印された以上、どうあがいても少なくとも一世代が消滅するまでの数十年、原発の推進は不可能と考えるのが、論理的帰結なのである。
この震災により、一瞬にして人生が激変させられてしまった人は多い。原子力をめぐる環境も、この一瞬に激変した。良かろうと悪かろうと、元には戻らない。かくなっては、身も縮むような節電・省エネで時間的猶予を何とか得ながら、是が非でも他の「クリーンエネルギー」とやらを開発しなければなるまい。仕分けどころか、研究開発費を何十倍何百倍にして、まなじりを決して臨まねばならないだろう。
そういった悲壮な現実に対する視座が、もし所管の経済産業大臣にあったなら、事故現場に口をさしはさむような労力の無駄を行う暇などなかったはずだ(連続放水しないと東京都の消防隊を処分するとのたまわったそうな)。元から馬鹿なのか馬鹿になったのか知らないが、想像力やビジョンが決定的に欠如しているので、これから必要になる光明の見出しがたい大きな仕事が自覚できなかったのは残念なところだ。・・・この内閣、迷惑千万だが、総じて先が見えず、「ある意味」幸せな連中だと思う。
それでも少しずつ目が覚めてきているようで、アレよりはるかに血の巡りが良さそうな官房長官閣下は、「産業部門のあり方や国民の生活様式にまで踏み込んだ抜本的な対策が必要だ」としたのに対し、まるで人望がないものの有能なはずの与謝野大臣閣下が「自由な意思で協力していただける部分と、料金(体系)の持つ一定の効果を組み合わせて節電を実現したらどうか」と、本日、発言されたそうだ。震災から2週間が経過して、ようやく政府からのまともな日本語を耳にした心地だ(毎日新聞)。
生活様式のあり方、計画停電の悪影響を過小評価し、初日の朝、鉄道が止まって大混乱となっても、行政の非常権限を行使する発想もなかったらしいので、とても言葉はお好きらしい『維新』と言えるほどのドラスティックな変革など実行出来るはずもなく、サマータイムの導入程度が関の山だろう(サマータイムなどまた撤廃できるように1年の時限法)。それでも、願望を言うなら、この際より抜本的に、今年の4月の入学を(正式には)停止して、通常の一学期を移行期間に当て、7、8月を長期休暇として、9月入学という世界標準に合わせてしまったらどうだろう。夏休みの補習だとか宿題といった後顧の憂いは無くなるし、首都圏の大企業などにも長期休暇を勧奨させれば、お金のある人は家族そろって首都圏外に行ってくれるだろうから、万々歳だ(この間学校は閉鎖。宿直は日中冷房なし)。
何となく、今までの局地的な震災同様に感じていた遠隔地域の人々も、さすがにジワジワと影響が実感されてきたのではないかと思う。被害のなかった人たちは、むしろ普通の経済活動を続けるのこそが、他人事で冷たい態度のようでも、大きな目で見れば被災地の役に立ち、その復興の助けにもなるのだが、経済の中心である東京周辺が原発事故や計画停電で平常に戻れず、その余波を吸収できる地域は日本に存在しない以上、これからも、さらに影響が時間差で現われざるを得ないと、覚悟してもらわねばならない。原発にしても、自分たちの地域の電力会社も有しているはずで、すでにその稼動に支障をきたしており、被災地外の地域の電力供給の逼迫も危惧されるようになってきているのが現実だ。それでも、通常にふるまうべきなのだから、外見はいつもどおりでも、実際は他人事ではあるまい。
このような状況下で、大相撲とプロ野球を衰退させた人物として永久に名を残すであろう某新聞のあの方は、元から馬鹿なのかボケたのか昔から始終酔っ払っているだけなのかそれとも精神を病んでいる権柄症なのかは知らないが、王・長島時代のような人気など欠片もない自己の球団の現状も理解せず(そもそもあの方は、相撲も野球もろくに見たこともないのに口を出し、一度として未来につながる提言などしたことがない珍しい御仁だ)、国民一般にまるで支持されていない事実認識が出来ずに、計画停電中の首都の、空調を効かせたドームで煌煌と明かりをつけてナイター興行を打とうとしていた。このような不見識な年寄りが、政界のフィクサー面してのさばっていたのだから片腹痛い。
確かに国難なのである。無闇に萎縮すべきではないが、どのように考えても無関係な国民などない。そして、こういった非常事態ほど、その人の心底が試される時もない。後で、己が廉恥心で自分自身がさいなまれないように、しっかり考えて、行動をとりたいものだ(やましいところがあれば、即刻、改めようではないですか?良い機会ですよ)。
もちろん良いお手本も多い。被災者の方々は不満も多いはずなのに、おおむね粛々とされており、世界中から賞賛されている。自衛隊や消防隊や消防団、その他の方々は、悲惨な被災現場で、未だに収容もままならず泥と塩にまみれて瓦礫に埋もれたままのご遺体を、黙々と探してくださっている。地元自治体の職員の方々も、身を粉にして地域住民の方々のために働かれている。被災地でない人たちの多くも、日々の生活を慌てることなく過ごされている。そして、国民の象徴であらせられる天皇陛下も、朝日新聞によれば、千代田区の皇居で節電に励まれている。
行政府の長であるアレとその女房より先に両陛下が被災地にお見舞いに行かれることは無理だが、おそらく両陛下にあらせられては、本日直ちにでも、もちろん雨が降ろうと槍が降ろうと、お出ましになられたいお気持ちだろう。普段はテニスをされたり必要なのかわからない催し物に『公務』としてお出かけになられたり、昭和の陛下を敬愛する者としてはいかがと思わないではなかったのだが、さすが大御宝として民を慈しむ世にも稀なご皇室の伝統と、リーダーとしてのご修養は、このような国難の折りにこそ行動として表れ、国民一般を勇気付けてくださるのだろう。実に有り難く、それを感じるにつれ、自己修練の欠片もない軽薄短小な下民づれの行動を、同様な行動に走っても不思議はない庶民の一人として、恥ずかしく思う。
はぁ。警醒的言辞を弄するのにくたびれてきた。文鳥と遊ぶだけで良い・・・。
【追記】アレが1週間ぶりに会見。今日は2キッキであった。
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