石原慎太郎氏が、東京都知事選に立候補されるそうだ。高齢(満78歳)と多選(すでに3期12年)を冒してのことで、大変悩まれた結果と思われる。選挙に出る出ないは個人の判断以外の何物でもないので、その決断に他人がとやかく言う筋合いは無いのだが、それでもあえて言うなら、この決断は大変な誤りだ。
石原都知事閣下に対し、立候補を促した人は、「余人を以って代えがたい」などと言っていたようだが、本当に閣下が都知事として余人を以って代えがたい人物であるなら、必ずやお辞めになるべきであった。なぜなら、当選したと仮定して、4年の任期を果たす間に日本人男性の平均寿命(約79歳)を越えてしまうので、一般常識があれば、任期途中での死を覚悟しなければならず、もしその不幸な事態が起きた場合、余人を以って代えがたければ、大変な混乱を引き起こすに相違ないからだ。
つまり、余人を以って代えがたい人物ほど、自分亡き後のことを考え、生前に後継者を育て、引退後の余生でその成長を見守るべきで、自分の寿命が尽きるまで重職に身を置くようなことを避けねばならない。もし、その処置をとらないのであれば、無責任な年寄りの冷や水で身の引きどころもわきまえず、これまで後継者を育てる努力もせず、後の混乱も考えていない不明をそしられても止むを得まい。そして、そのような人物は、所詮「余人を以って代えがたい」に値しないのである。
有能な人物ほど「自分がやらねば誰がやる」と高齢になっても頑張ってしまうものだが、残念ながら未だかつて不老不死であった人間はおらず、有能な人物が亡くなっても、有難いことに世の中は終わっていない。「自分がやらねば誰かがやる」のが大抵の真理で、人間は個体数が多いのだから、代わりの心配は大抵要らないのである。むしろ、己がいれば己がするだけのことしか生まれないが、自分以外なら自分がする以上のことを生み出す可能性がある、と考えるのが謙譲の美徳と言うものだろう。せっかくの晩節に、不徳のそしりを受けるような真似をすべきではあるまい。当選するか否かは知るところではないが、当選したところで、何とも残念なことだ。
余人を以って代えがたければ辞めよ
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