Y染色体は不変にあらず~天皇制論議に無意味な遺伝子~

 私は、おそらく後天的に現実主義者だと思うので、保守的な部類に属するはずだ。従って、天皇陛下がいらっしゃって、象徴でも元首でもとにかくその職務を果たして頂けるなら、是非ともお続け頂きたいと願っている。しかし、日本は民主主義国家だ。『個人の自由』を伝統で縛ることなど出来ないので、ご皇室の皆様がみな「もう、嫌」と言われたら、残念ながらこの制度は無くすより仕方がないと思っている。そして、もし国家の元首的な位置づけとしての天皇家を保持したいと願うのなら、その環境を整備する努力こそが必要であると信じている。
 ところが、天皇制度の存続を望む人の中でも、男系に執着する人の声が昨今大きく、しばしば論点をずらしている印象を受ける。先日新聞に『別冊正論』という雑誌の広告があり、特集記事の一つに高崎経済大学の八木秀次教授による「小林よしのり氏に反論するY染色体説のどこがトンデモ説なのか」との見出しがあった。買って読む気はないのだが、雑誌HPによれば八木さんは「神武以来代々受け継がれてきたY染色体の刻印こそが皇統の証である。血統原理の本質を科学的に語る意義を無視するなかれ」といったことを主張されているようだ。当然ながら、漫画家の小林さんがどのような主張をされたのか知らないが、私が高崎経済大学の学生なら、「先生、お言葉ではありますが、それに意義など見出せません」と即刻反駁しただろう。
 まず男系による皇統の継続を望むなら、天皇になりうる特別な家系を増やすなど具体策を早急に検討すべきであり、男系の正当性を大合唱しても何の意味もない。このまま大騒ぎするだけで時を移し、男系の皇統が絶えてしまうという事態が現実のものになってしまった時に、男系至上主義とも称すべき人々は、男系を存続したいがために内親王殿下を無視して、何代も何代も何代も何代も何代も前にさかのぼり、とっくの昔に皇族から離脱して市井にまみれているあえて言うなら『馬の骨』を連れてきて、「はい、天皇陛下になりましたよ!」と言わせれば、主権者の国民が受け入れてくれると信じているのだろうか。そもそもそれを行う法的な根拠は何なのかも問題になるが、ましてや、内親王殿下に「こいつが天皇家の男系の血筋なので、結婚して子供をこさえてください!」などと強いることをお考えなら、それこそ不敬以前に人権蹂躙以外の何ものでもない。前近代に例があったからと言って、それが現代でも可能なのか、少し冷静に現実問題としてお考えになるべきだろう。
 そもそも帝王学と言わないまでも、尊貴な家柄に育ってこそ身につくものがあるはずで、「血、血~」と吸血鬼のように求めるあまり、その後天的な文化性を無視するのは本末転倒ではあるまいか。日本文化や伝統を大切にされる方々が何やら無邪気に「男系、男系」と繰り返すのを見ると、血迷っているのではないかと不思議でならない。どうしても男系で無ければならないという鉄則があるなら、家長(この場合は陛下ご本人)は、跡継ぎになりうる男子が少なくなった時点で、旧皇族などから男系に連なる子供を養子として迎え、宮中でお育てすることを考えられたのであろうし、そのように出来るように工夫すればよかったはずだ。わけのわからぬ科学をもてあそび、男系の正統性を声高に叫ぶ暇があるなら、今からでも、皇族外の男系男子をご皇族が養子に出来る環境整備を、言論界でも立法府でも努力するのが筋であろう。
 わけのわからぬ科学とは、男系の存続を願う人(男系至上主義者)が、最近振り回しているY染色体のことである。Y染色体とは、人間と言うより哺乳類が対で持っている性染色体の1つであり、その種類は大まかにはXとYからなっており、女性はXX、男性はXYだ。それぞれの一方が子に受け継がれるので、Y染色体は必ず父親から受け継がれることになる。つまり、卵子はX型のみだが、精子はX型とY型があり、Y型が受精すれば男になるわけである。これはごく基本的な遺伝学なのだが、これをなぜか天皇家が男系相続していたことと結びつけると、大変なことになる。我がご皇室におかせられては、歴代に何らかの手違いがない限り、歴史学的には少なくとも6世紀の継体天皇、神話の世界なら紀元前の神武天皇、さらにその曾祖父の天孫ニニギの命様(神様)、そしてその父アメノオシホミミの命様(神様。その出生を生物学的合理性では説明できないが天照大神様の息子)まで遡れることになる。つまり、畏れ多くも天皇陛下のY染色体は、千数百年以上も続く由緒正しい人類の奇跡とすべき貴重な存在であり、今現在の便宜主義で女系を挟んで、Y染色体の継続を阻んではならないと、男系至上主義者は主張するわけだ。
 私は、以前それを衆議院議員の平沼赳夫さんが主張しているのをテレビで見て、呆気にとられた記憶があるのだが、いまだにこのような主張が続いているとは笑止千万である。ではお尋ねする。遺伝にお詳しいなら、ミトコンドリア型は女系に受け継がれ、何とアフリカ出身の「イブ」にまで遡るとされていることくらいはご存知のはずだが、それは煎じ詰めれば、女性はみな同じミトコンドリアを共有する存在だということになる。つまり、「イブ」に連なるがゆえに、我ら男はすべての女性を尊貴な者として崇め奉らねばならないのであろうか?崇めてるぅ?本当にぃ?では、その崇める男性諸君の中に、いったい「アダム」のY染色体にたどり着けない宇宙人がどれほど混じっているのか!
 政治家の平沼さんやら、学者の八木さんなどという方々が、どの程度遺伝について知識があるのか存じ上げないが、性染色体に限らず不変の染色体=遺伝子など存在しないという、ごく大雑把で当たり前の事実くらい認識してもらわねば困る。そもそも生き物が死にまた生まれるのは、遺伝子の変容を期待してのことでもあり(変化による多様性を生じさせ、より生存しやすい個体を創出する機会を作る)、代を経るごとに徐々に変質するし突然変異も起きるのである。第一、ある程度変質しているからこそ、女系のミトコンドリア型や男系のY染色体の変異の程度によって、それぞれの近縁性による類型化が可能になる。もし遺伝子に何の変化も起きていなければ、遺伝子を比べて人種の違いも民族の違いも何一つわからず、みなイブの子であり、アダムの子だ、とする以外に無くなってしまう。アダムとイブが『毛唐』の物語なのでお気に召さないなら、アマテラス様とスサノオ様でもイザナギ様とイザナミ様でも良い。
 つまり、Y染色体が代々男系相続されていたところで、遠い祖先のそれとその直系である現代人のそれが同じであるはずがない。従って、Y染色体の継承をもって男系の正統性を主張するなど、そもそも無理なのである。
 一時「宗教を科学する」などと言う理解困難な主張が流行ったものだが、人間の主観による文化的な継承事項を客観的な理化学で説明する必要などどこにもない。それがカッコイイと感じるとしたら、自分のオツムが非科学的ではないかとまず疑った方が良いと私は思う。誤解があるのかもしれないが、文系、人文学も、近現代的な論理を追求する科学に他ならない。文系であっても、必要なら地学化学生物学何でも援用するし、しなければならない。しかし、自分の思い描く結論を補強する確証バイアスの一端として、安易に利用しようとするのは、科学に対する冒涜になるだろう。
 文化なりその家の伝統、砕いてなら習慣、具体例なら祭祀、そういったものが受け継がれていくことの方が、目に見えぬ染色体やら遺伝子よりも、よほどその家系にとっては重要であり、実際に一族祭祀の継承こそを重視するのが、前近代の日本人一般に根付いていた文化のはずであり、その伝統的祭祀を象徴する存在こそが天皇家ではなかったか。廃れつある日本の伝統文化だが、その具現者であるからこそ天皇陛下は尊いはずである。百代以上続く血統か否かより、百代以上も家制度を維持する家系が存在し、おそらく連綿と続いているであろう祭祀を執り行われているからこそ、天皇家の存在は有り難いのだと思う。
 百代以上続く文化より、その血の裏づけを重視したがる政治学者なり法学者が、まるで畑の異なるY染色体といった理系の遺伝科学を持ち出すなら、より近しい文系の歴史科学から、あえて次の言葉を謹呈したい。「誰か昔の王孫ならぬ」、これは承久の乱(1221年)における鎌倉幕府側の武士の発言だ。相手側が天皇の命令に背けば罰が当たると脅迫したのに対し、「天皇の子孫でない者などいるかい!こっちの大将もみんな先祖は天皇じゃわい!」といった感じに反駁したのある(慈光本『承久記』)。確かに、古代の平将門も関東八平氏も源氏も、みな男子皇族を祖先とした氏族であり、当然その子孫の多くは天皇のY染色体を受け継いでいる。また、土着してそのY染色体受け伝えている。何しろ天皇家に連なるような貴種は田舎であればあるほど尊重され、入り婿や養子の形で別のY染色体を持っていたであろう他家の家を継ぐことも多かった。さらに、代を経てますます拡散すれば庶民化もしていく。従って、21世紀の現在、そこいらの権作さんが天皇家からのY染色体の継承者でないとは断言出来ず、そうした権作の数は、何万や何十万では済まない数と想像されるのである。では、それらの権作(あなたも権作の一人かも知れませんぞ!)を、男系至上主義の方々はY染色体ゆえに天皇にふさわしいとされるのであろうか?
 血の継承だとかY染色体だとか、文化の継承に比べるなら副次的なものに過ぎないと私は思う。権作さんと皇位継承者の皆さんを分けるのは、その一家の文化を受け継いだか否かのはずだ(当然ながら、男系でなくても家系がたどれる家系など、世界のどこにも存在しない。十二分に貴重で誇れる存在だ)。それを一介の学者や政治家風情が、おっとり刀で怪しい宗教並みの科学を振り回し、血の至上性を云々するなど、見苦しい上に僭上の沙汰ではなかろうか。 存続するか男系を尊重するかその他は、本来的にはご皇族内の問題だ。陛下なりご一家なりご一族で、ご自由にお考え頂く以外に無く、他人が四の五の差し出口する方がおかしい。それでも国民の一人として存続して頂きたいのなら、「男系でなければならぬ」などと生意気なことを言わず、そのように選択しやすいような環境整備に心を砕くしかあるまい。怪しいだけの科学的な与太話などする暇があれば、象徴もしくは元首としての天皇を、文化継承者であるご一家に継続して頂ける具体的な法整備の議論を望みたい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました