東京は杉並区の小学校教師(23歳女性)が、小学校3年生の授業で、「三姉妹の長女が自殺し、次女はその葬儀に来たカッコイイ男が好きになった。葬儀後もう一度会うにはどうすれば良いか」といったクイズ?を出したのだそうだ。それで、『ガキの内輪盛り上がり』で話を進めて、結論は「妹を殺し、葬式をやればまた会える」だったと言う。
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_teacher__20101024_3/story/101024jijiX900/
23歳の小娘なので、大学のサークルで仲間内でするアホ話の延長と錯覚したものとすると(細かいやりとりはわからない)、あらゆる面で愚かと言う他ない。まず、最もどうでも良いことを先に挙げれば、論理的に破綻していて結論になっていない。その「カッコイイ男」は長女の友だちか関係者であろうから、三女が死んでも葬儀に来るはずがないではないか!
論理的な破綻以前に、10歳かそこらの子供多数の前で、姉が自殺したことを悲しむより男あさりを優先し、妹を殺しても自分の利益追求するといった、愚かなおつむで作り出した悪魔的な人間を、平然と語れる23歳の精神のすさみ方とは、一体何なのかと思ってしまう。一体この23歳は、この話をすることで、子供たちにどういったことを学ばせたかったのだろうか?いくら東京都が無計画だったために、教職員数が不足しているとしても、教師適正などゼロの者を採用した側のシステムなり感性も問題にすべきだろう。
この教師のヨタ話を耳にして、八百屋お七を思い浮かべた人も多いのではなかろうか。こちらは江戸本郷(東京都文京区)の八百屋の娘お七が、火災の際に避難して寝泊りした寺の小姓と仲良くなり、『もう一度会いたいあまりに放火』して捕らえられ処刑された事件だ。時は江戸前期、1683年のこと。当時、お七は数え年で16歳、数えは産まれた時に1歳、その後正月を迎えるたびに1歳加えていくので、今の満年齢なら14歳に過ぎない子供だ。何でも当時は15歳以下なら死罪を免れる慣習となっており、正月に近い事件でもあったらしいので、「お前はまだ15歳だな?」と罪一等を減じようとした奉行が問いかけたそうだ。ところが、ずいぶんと普通に生真面目だったのか、よほどの天才で罪を罪として悔いていたのか、お七は16歳であると主張し続けたため(真面目な人間は、場の雰囲気を察した嘘を言えない)、火刑に処されたと言う。
お七の放火は、どうやら自宅でボヤ程度で済んだので、世間の同情を集めることになった。それはそうだろう、14歳の生真面目な子が初恋で思いつめてした行動なのだから。しかし、その放火が大火になり、何百何千の人間が生命財産を失う結果になったらどうだろう?同じ放火という罪を犯しながら、結果が被害ゼロなら許し、被害が出れば極刑で良いのか・・・。こちらの実話なら、小学生でも大人でも、ゆっくり考えることが出来そうだ。
私は「今時の若い人は・・・」と思わない年寄りなど存在意味がないと信じているので、「今時の若い人は・・・」と年をとるごとに思うようにしている。しかし、実際問題としては、小学校の教師など寺子屋の先生の昔から、それほど「ご立派」でなくても勤まる職種であり、私の小学校時代の先生たちにしても、結構問題のある人はいたことも承知している。
例えば・・・、小学校3年の時の担任某(♂)はサッカーの朝練習の指導など熱血教師で知られ、生徒にも人気があったようだが、労働組合の活動にも熱心で子供心にも胡散臭かった(朝練してたのですよ私も)。何が胡散臭いと言って、大したことでもないはずのことで今なら問題になるだろう体罰をするのだが、廊下に何人か並ばせてゴンゴンと頭をこぶしで叩く際に、「お前たちを叩く先生の手のほうが痛いんだ!」的な態度を感じるのに、違和感を感じたのである。また、小学校4年生の時に産休補助でやって来た婆さんは(黒縁の尖った眼鏡をしていたので「ざーマス婆あ」と呼ばれていた。産休だったが諸般の事情で長々と居続けやがった!)、子供相手にいちいち嫌味な物言いをし、なおかつえこひいきが露骨に激しかったため、私の友人たちは暗殺計画を練っていたくらいである(今ならずいぶん物騒なことになりかねないが、当時は今のような情報化社会ではなく、子供の発想には具体性が伴わない)。
このように、問題ありそうな大人が先生となっていて、それと否応無く付き合わされることで、世の中の理不尽さを、身を持って体験するのもひとつの学習かもしれない。しかし、どれほど組合活動でおつむの中が真っ赤に染まっていようと、人格に難があっても、教師なら、自分の発言や行動は生徒に対して良かれと信じて行ってはいたように思う。それが客観的・中立的におかしなものに思えても、それなりに考えはあったはずなのだ。しかし、今時の若い人である23歳教師のそれは、中味がスッカラカンの軽口以外の何ものも伝わってこないので、残念なところだ。時間つぶしに自分のすさんで弱いおつむの中味を吐露して、教師が務まるだろうか?
つまり、この人に欠如しているのは、職業意識であろう。年少の者に教えるという職業なのだから、その話している内容が何を教えることになってしまうのか、しっかり自覚しなければなるまい。相手は対等な友だちではなく、良かれ悪しかれ簡単に影響を受けてしまう存在なのだ。まだ遅くはないはずなので、教職を続けるにせよ辞めるにせよ、自重研鑽してもらいたい。そして、全国の次女に謝りなさい。
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