You鳥?No鳥!

 小学生くらいの子供の頭には、ギューギューに知識を押し込んで、その意味など後から付いて来れば良い(その後長く続くであろう人生の経験から自ずと理解出来れば良い)という考え方を持っている。なまじ、たいして有能ではなく、個々で異なる教師の解釈など加えたら、それこそ想像力が奪われるので、例えば国語などは、同様の主張をされている諸賢も多いように、論語でも枕草子でも森鴎外でも、意味など分らなくても音読させておけば良いのだと思っている。意味や解釈などは、高等教育の段階で、それも複数の解釈を提示して自分で考えさせれば良い(特に社会科で問題となるが、教師の思想なり宗教観を生徒に押し付けるのは教育ではなく洗脳)。人生経験が無ければ、文学作品など理解しろと言う方が無茶だ。
 一時「ゆとり教育」などと称して、教科内容をより安易にし、さらに授業時間を減らすという政策が実施された。これは、実に愚かな選択であった。親世代が共稼ぎで休みもろくにとれずに働き詰めなのに、子世代を学校から解き放っても、どこにも行く先がないのである。学校だけでなく家庭や地域で子供を教育するという結構なお題目は、偏差値教育の成れの果てである中央官僚の現実離れした戯言に過ぎず、結果、子供も親も社会にも、何ら益するところはなかった。
 そもそも、是非判断は出来ないし、させるべきでないのが、人間の子供という生き物である。将来的に社会的にバランスのとれた是非判断が出来る素地を形成するのが初等教育であって、不完全な存在の生き物に時間的な自由など与えても、何に使えば良いかなど判断できるわけがないのである。毎日6時限、ギッチギッチに授業で詰め込み教育されても、休み時間に遊んだり、教師の目を盗んでうまい具合にサボるから面白く、また、勉学が苦手なら他で自己主張しようともがくから人間社会は多様で豊かになるのに(学業だけで評価しないと言うお題目には賛成。ただ、教師なり大人のレベルが低ければ、テストの点数以外の子供の資質は汲み取れない。何にせよ、子供の教育は子どもの問題ではなく大人側の問題)、ダラダラと高等教育においてすら知識の詰め込みを中心にしてしまう教育環境に順応した偏差値エリートの方々は、案外お頭が単純だから困る。

 さて、最近「ゆとり教育が転換され教科書が厚くなった」などというニュースを耳にして、鳩山前首相の顔を思い浮かべてしまった。無意識のうちに、「Yutori」→「You 鳥?」、「No 鳥!」→「脳鳥」、といった変換が頭の中で行われ(人間の男のオジさん化とは、無意識に駄洒落化せずには済まなくなることである)、「脳鳥」は俗に言う『鳥頭』で(本来「鶏頭」、ニワトリに限っての例え)、ポッポッポと三歩すれば自分の言ったことなど綺麗さっぱり忘れられるらしい人物の顔に行き着いてしまうわけだ。・・・もちろんこの件に関する限り鳩山氏に責任は何もなく、失礼になるだろうと多少自覚しているのだが、無意識に妙な連想をして、行き着く果てに存在を忘れたい人の顔が浮かんだので、実に苦々しかった。
 本来、人間の鳩さんもあの東京大学の出身者なので、偏差値的な成績は抜群だったに相違ない。しかし、鳥の鳩さんも、本来賢い部類の生き物のはずである。何をもって賢いかそうでないのか分けられようか?これは難しい命題だが、レース鳩など何百キロのはるか彼方から自分の飼育されている小屋に戻ってくるのだから、愚鈍であるとは言えまい。少なくとも、ポッポッポと三歩したくらいでは忘れないわけだ。それでは、人鳩と鳥鳩では一体どちらが賢いのであろうか?
 学校の成績など、生き物としても人間としても、その賢さを保証などしない。人間としてであれば、詰め込み教育にせよゆとり教育にせよ、それで得たはずの知識に基づいて、意識的であれ無意識であれ、どのように考察を深め、また行動出来るかが問題であり、それは仕事の早さや正確さのみではなく、生活そのものすべてで表現されるべきもののはずである。例えば、仕事では同僚の足を引っ張ってばかりであっても、人間的に誠実で同僚たちに認められるなら、それはそれで教養を持った賢者と言えるはずなのだ(すべての人間が「デキる」人の職場より、ちょっと「トロい」人がいた方が効率は良くなる【ミツバチの社会にも存在したはず】。ただその「トロい」人が愚かでそれを補う努力を怠れば、ただの厄介者になる)。 
 人間の偏差値エリートとは、学校で教わる類の知識量が多かったというだけで、その学問的な知識は人間としての教養とイコールではない。むしろ、頑是無い身で義務的に受ける初等教育ならいざ知らず、高等教育を本来自主的に受ける身になってすら(辞めたければ辞めろ)、無批判に与えられた知識を詰め込むのだけに専念する従順さなどは、一種の精神的な愚鈍を意味することも多いのではなかろうか。
 鳥は、人間的な恩も感じなければ、人間的な教養もない。その点で賢いとは言えない。しかし、その面で賢くなり得るのは人間だけである。ところが、たんなる知識の多寡、それも学生時代のそれなどという、かつての栄光遠い日の花火の記憶にすがりつき、苦労もせずに教養を深めなければ、ポッポッポと三歩で前言を撤回し真逆のことを言っても恬として恥じない、厚顔無恥の権化に成り下がるのも人間だけの話であろう。
 ここまでくれば、小沢氏についても書いたので、ついでに言わねばなるまい。鳩山由紀夫氏は、「総理経験者は表舞台に立たない。次回の衆議院議員選挙には出ない」、とのご自分の公言を守り、またわずかばかり先倒しして、ご先祖の功徳で得た田園調布のお邸でも軽井沢の別荘にでも、さっさと引き篭もりなさい。

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