いろいろな一日

心配な文鳥(カナ)
まだ本調子ではない夜のカナ

 朝、いつものようにエサを取り替えつつ、今日の予定をぼんやり考えて足元への注意を怠った瞬間であった。サンダル越しの右足の裏にやわらかいものが触れてギョッとして反射的に足をあげる。半ば踏まれたのはカナであった。サンダルを引きちぎろうと背後から近づいていたのに、不覚にも気づかなかったのだ。一瞬動かず、ひろいあげようとした途端に1mほど飛び、うまく飛べずにカゴの横の着地、翼を広げて驚いた顔をしている。
 とりあえず捕らえてカゴに入れ、様子をうかがったところ、翼も脚も無事で、呼吸器症状も見られず、ただ静かにたたずんでいる。まずは心配ないようなので、少し安堵する。
 空を飛ぶ鳥には体の内部に気嚢という器官があり、ちょうどエアクッションのような役割も果たしてくれるので、それが破裂するほどに圧迫しなければ、大事に至らないことも多いのだ。ただ恐怖のためか、気嚢の空気が不自然に抜ける影響か、無傷であってもしばらくは茫然自失のことも多いようだ。
 奇跡的にも、今のところ足で事故を起こしたことは無いのだが(不思議にもきわどいのも今日が初めて。10年ほど前にお尻の下敷きにしそうになったことはある)、実に危ないところであった。人間注意しているつもりでも気が抜けている瞬間があるので、・・・やはり注意するしかない。夜には3メートルは飛んでいたが、本調子ではなかった。問題は、産卵と重なったら、であり、明日の朝が心配だ。

 午後は動物取扱責任者の年一回の講習であった。当然ながら、その内容は無意味だ。犬のことしか頭に無い動物愛護協会のおじさんの話を、カナの心配をしながら2時間も聞かされるのは、これは間違いなく苦行であり、腹立たしい。
結果、この団体は小鳥とは無関係な組織なのだろう、といった真偽不明の印象だけを持つことになった。
犬は個人的に好きだが、ベルギーのシェパード(何とか言っていたが覚える気などないので失念した)だのジャックラッセルテリアだの、何のつもりで話しているのか不思議なものである(犬のブリーダーどもの集会でやれ!)。鳥屋は「Tsumaran Inuya me!」と、レジュメに落書きするしかない。

 夕方慌てて帰れば、カナは普通にアワ玉を食べていてホッとしたが、テーブル上に老母の書置きがあり、老父が心臓で入院云々とあった。
 2日ほど前から胸がむかつき食べられないと言っていたので、さてはノロウィルスによる腸炎ではないかと、このウィルスにすこぶる弱い私は近づかないようにしていたのだが(不思議と他人にはうつさないのに、他人にうつされる。腸炎で七転八倒したというお釈迦様に気持ちが良く分かる)、今日町医者に行ったところ、近くの大きめの病院に移され、心筋梗塞のカテーテル治療となったそうだ。
 葬式の用意を真っ先に考えたが、そう言うことにはならず、1ヶ月ほど入院することになるようだ。こちらは、適当に放っておいて良いだろう。面倒ならベッドに拘束しておいてもらおう。

 自分の不注意もまじえ、災難な一日であった。しかし、考えようで、カナがこのまま本復してくれたら不幸中の幸いで、人間の爺さんにしても、フラフラと町医者に行ったおかげで助かったのも、不幸中の幸いであった(季節性インフルエンザの予防接種の予約をしていたらしい)。
 とすれば、「Tsumaran Inuya」の話も何かの役に立つかもしれない。そう信じたいところだ。

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