「ちんくしゃ顔」のミナ
ミナは禿げた状態から立ち直り、顔がチンクシャで愛らしい。・・・と、さてチンクシャと言う表現は正しいのだろうか?頭が平たくクチバシが小さい文鳥のことを「ちんくしゃ顔」だと、かなり良い意味で使っているのだが、改めて辞書で「ちんくしゃ」を調べるとこうある。
『大辞泉』・・・狆(ちん)のように目・鼻・口が中央に集まった、くしゃっとした顔。一説に、狆がくしゃみをしたような顔とも。容貌が醜いこと。
『大辞林』・・・狆がくしゃみをしたような顔の意。鼻が低く、くしゃくしゃとした感じの顔。また、そのような顔の人。
『大辞泉』の目鼻口が中央に集まるでは、昔の「くしゃおじさん」で、個人的なイメージとは違うなあ。しかも「容貌が醜い」と言われると、何となく腹が立つし。一方『大辞林』の「鼻が低く」を、文鳥に置き換えればクチバシが小さいと言うことになるだろうから、これなら個人的なイメージに齟齬は無さそうだ。
まあ、ミナは文鳥の、愛らしい「ちんくしゃ顔」で良いことにしよう。
【余談】
バリアート。RAKA画伯とBAGIA画伯の文鳥の姿が似ているという話があり、改めて見ると確かにシルエットに共通するものがあるのに気づいた。それで、さらに改めてRAKA画伯のプロフィールを見たら、BAGIA画伯の叔父にあたられるとのことで、それで画風に共通点があるのかと納得したのであった。
私は文鳥の絵姿を、全体よりパーツで見ているらしく(実物でもそうで、「チンクシャだ」と思ったりして喜ぶ)、両者の表現は初めから別物に見えていた。RAKA氏のかわいらしい表情と、BAGIA氏のひょうきんな表情、そして、脚・指やお腹の彩色などにも違いがあり、それらに無意識のうちに注目して区別しているようだ。
個人的には、「文鳥とヤマネコ」で描かれたBAGIA氏の文鳥、そのクチバシが分厚くアイリングがしっかりした文鳥の表情と(我が家では亡くなったキタやオッキ・カエ・イブ)、脚・指がしっかり正確にそして少々デフォルメされて描かれている姿が、まさにストライクであった。その画伯独特の表現による文鳥を主題とした絵画が今回多かったのは、何ともうれしいところだ。
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