杞憂に思慮なし

孤高?のシナモン文鳥(ニッキ)
孤高?のシナモン文鳥(ニッキ)

 ゲンの急死が、文鳥の死にはすでに耐性があるというか、そういう時はとりあえず思考を凍結して時間に委ねるしかないのを心得ているはずの飼い主に、かなりの衝撃を与えたのは、墓穴を掘りながら、今後の展開を考えてしまったからだ。
 何しろ、ゲンより早く彼岸に飛んで行きそうな様子の文鳥たちがいるのだ。介護状態のオッキ、いよいよ飛べなくなってきた高齢のノロ、片目が見えず活力のないクラ、体力も精神もちょっとおかしいヤッチ、そして産卵期となれば、メス、特にマルやカエに問題が起きそうな気がする・・・。より元気な文鳥が先に行き、先行しそうだった彼らが、ゆっくりしてくれるのか甚だ心もとない。そのあたりに考えが及び暗澹としたわけだ。

 しかしながら、考えても仕方がないことだ。たまに、自分が犯罪に巻き込まれたら、自然災害に遭ったら、などとと考えると、とても一人で文鳥など飼えないと言ってくる人がいたが、しかし、事態はそれほど単純であることはむしろ少ない。人生いろいろなのだ。
 例えば、結婚して子供が生まれ、その新しい人間の家族にアレルギーが生じれば、文鳥は誰かに譲らなければならなくなる。もちろん、犯罪や事故に巻き込まれるのが自分だけとは限らず、まして、どこの世界のどのような場所であれ、天災が起きる可能性のない桃源郷など存在しない。
 このような絶対的な事実を理解していれば、「~になるかもしれない」と想定するのは良いとして、だから「~しない」と言うのは、結論としてありえない。かもしれない可能性など無限大であり、それを考えたら何も出来なくなるからだ。となれば、考えるだけ無駄で、新規のことなど何もせずに何も考えず生きていくしかないではないか。従って、「~になるかもしれない」と考えたら、それに備えて何らかの準備をしておくだけであり、その準備は心の準備だけでも構わないだろう。
 我が家の文鳥たちにしても、どうなるかはわからないので、やはり思考は凍結しつつ、覚悟だけはしておこう。

 それでニッキだ。
 同居のオッキとは夫婦と言えるほど仲良くならず、産卵・営巣・抱卵を通じて本当の夫婦になっていく未来も失われた。そして、現在独身のオスはノコリだけだが、ノコリのタイプは桜文鳥で、白文鳥を嫌い、シナモン文鳥の存在すら気づいていない感じだ。また、そもそも、ノコリの子孫を残すのを前提にするなら、シナモン文鳥と夫婦にするわけにはいかない。
 ニッキには、しばらく気ままな一羽暮らしをしてもらうしかなさそうだ。ニッキにして見れば、あの店でオスと見なされて売れ残っていた時に、今の生活など想像できるはずもなく、そして未来もわからないのだ。

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