オッキとニッキ

2日目のシナモン文鳥
エサを食べ始めた「ニッキ」

 昨日は緊張のあまりエサも食べられなかったシナモン文鳥だが、一夜明けても様子が変わらないので心配になる。つぼ巣の上か小松菜の上でじっとしているだけなのだ。
 午前10時頃、たまりかねて、鳥カゴを今までの背後が窓、前が通路の低位置から、背後が壁、前が通路の中位置(胸くらいの高さ)に移動し、上に手を置いて威圧、下段のエサ箱の前に誘導する。そして急いで姿を隠したところ、エサを食べ始めた。
 一安心し、その後さえずらないか耳を澄まし続けたが、時折思い出したように単音で「ギャッ!キャッ!」と鳴く以外は実に静かだ。メスの「オス恋いし」の鳴き声とは違うが、鳴く元気があってさえずらない以上は、メスの公算が高くなったと言えそうだ。
 もう少し様子を見たいが、メスの可能性が高くなったので名前を考えた。シナモンはニッキ飴のニッキと同じと言えるので、「ニッキ」と呼ぶことにする。オッキの代打になるかもしれないのでちょうど良い。

 一方オッキ。夜、敷いてある新聞紙を取り替えてもつぼ巣から出て来ないので、嫌な予感を抱えつつつぼ巣に手を入れると、生きてはいたが頼りなげであった。昨夜は少し上向いたと思った体調が、また下向いてしまったようだ。
 しかし、つかみ出して枝豆を見せるとバリバリと食べ始め、カナリアシードを見せれば、それも残らず食い散らした。・・・こういった様子を見て、「病状を隠すために食べるふりをする」などといった解釈が出来る人というのは、私にはどうしても不思議だ。何度も何度も危篤状態の文鳥がエサを食べる様子を見ているが、どのように見ても、生きるために栄養を摂取しようと努力している姿以外には見えない。それは生き物としてごく自然な様子であり、人間的な解釈が入り込む余地などどこにあるのだろうか?
 食い散らかすと、オッキは手の中に腰を据えてしまった。放鳥の終了時間がせまったのでつぼ巣に帰すと、嫌々ながら入ったものの、数分後には這い出てきて、開閉口に来て、さらに外掛け容器に飛び移ろうとして落ちてしまった。慌てて拾い上げると、再び枝豆を少々食べ、手の中に腰を据える。
 このまま亡くなるのだろうかと思ったが、あれだけ食べれば数分後、数十分後、と言った切迫したものではないだろう。片手では他の文鳥を帰せないので、このまま片手を占拠させることは出来ない。・・・せっかく手の中に帰ってきたのに、とかなり残念に思いながらも、オッキを再びつぼ巣に戻し、他の文鳥たちも送迎していった。すべてをカゴに戻して、再びオッキのつぼ巣前に手を入れ、さらにつぼ巣の中に手を入れたが、乗ってくるようなことはなかった。
 明朝も、つぼ巣から顔を出してもらいたい。

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