政治に裏表があって当然ですが、裏のことは表に現さないのが本当の政治家だと思います。これが政治屋となると、二枚舌、三枚舌を使えば自分の幅が広がっていると勘違いし、ペラペラしゃべくって朝令暮改、まともな国民をうんざりさせてくれます。
まだご存命ですが、自民党幹事長代理であった野中広務氏は、1996年の総選挙(10月20日第41回衆議院議員総選挙)で自民党が過半数割れに終わった結果を受け、「責任を取って職を辞す」とテレビカメラの前で「男らしく」明言されていたにもかかわらず、職を辞さないばかりか、「失われた十年」を演出する与党最大の実力者であり続けました。
ご本人は国事のために奔走した結果なのでしょうが、テレビ画面を見ていた一般国民からすれば「武士に二言なし」にもとる行為に他ならず、責任の所在も明確にせず、自分の権勢欲のためにひたすら動いているように見えたものでした。
民主党の鳩山由紀夫氏は、あくの強さでは野中氏の足元にも及ばない印象ですが、自分の言葉を棚上げし、責任の所在を明らかにすることなく政治活動を続ける点では共通しているようです。そもそも鳩山氏は、亡くなられた某議員が、あまりにも稚拙な偽メールを元に政府を糾弾して、かえって党の信頼を失墜させ、代表の前原誠司氏が辞任した2006年の騒動の際、党員を束ね代表を支える幹事長であり、「責任を取って職を辞す」とテレビカメラの前で「男らしく」明言されていました。ところが実際には、次の小沢一郎代表の下で幹事長として留任し今日に至っています。
メール事件があそこまで紛糾したのは、テレビ画面で見る限り、きらびやかな経歴のわりにはお調子者と言うか、何でもかんでも政府を悪としたり陰謀と考えたりしたがる幼児性がありのうな某議員に対し、早期にそれをたしなめられなかったどころか、一緒になって政府批判をしようとした代表以下民主党幹部の軽率な態度にあったように思います。早期のうちに、筋が悪いとして止められる「おとな」の幹部がいれば、某議員もあそこまで追い詰められることはなかったように思えます。そして、当時最も「おとな」であるべきだったのは、年長の鳩山氏であり、その監督責任は重大だったのではないでしょうか。代表が辞めるから自分も辞めるのではなく、自分自身の不明に責任を感じるのが当然だったように思います。従って、テレビ画面を見ていた一般国民からすれば「武士に二言なし」にもとる行為以前に、責任の所在も自覚しない破廉恥な行為として、その留任は見えてしまったものです。
当時小沢氏を支えて挙党一致をはかるには、役職に留任しなければならなかったなどといった言い訳は無意味です。責任を果たしてから復帰すれば良いだけで、人のうわさも七十五日くらいは、蟄居謹慎するなり四国にお遍路さんに出れば良く、それがけじめであり、政治的に言えば禊を果たすことであり、それすらしないのは、理由付けによる責任回避以外の何者でもないでしょう。
そして今回は、一蓮托生としていた小沢一郎氏が代表を辞任され、当然幹事長も辞めるべきですが、何と、辞めてさらに上の役職である党代表になると言うのですから驚かされます。さすが、戦前の保守政治家以来のお家柄、音羽の豪壮な雨漏り御殿に居住して、ハート型プリントのシャツなど着る御仁は、一般民衆とは違った感覚をお持ちのようです。いやあ、国事のために自分の責任を棚上げし、テレビ画面を見るしかない下賎の者に破廉恥と思われながらも、政治活動を続けるとは、道義や道理を心得るものならさぞつらいことでしょう。野中氏と比肩すべき大政治屋には、一国民として頭の下がる思いがします。是非、代表となられて、世間の風をまともに受けられることを願うところです。
なお、鳩山氏は「~させていただく」との言葉をよく用いられますが、大多数の国民があなた様に特に何かしていただこうと思ってはいないので、気味の悪い言い回しです。
大政治家は、大所高所に立って自分が国事のため良かれと信じることを行い、その審判を国民に仰ぐのが民主主義のはずですから、他人にやらされているかの如き言い回しは、立場上、丁寧と言うよりも主体性や責任感の欠如を表していると誤解されてしまう面が大きいのです。もっとも、すでに責任感の欠如を行動で印象付けていらっしゃる氏にとって、あまりにピッタリな言葉遣いとなっているから不思議ではあります。
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