飼い主はかさ上げしたがる

枝豆を好物にする文鳥
父親の代わりに食べ散らかすハル

 朝、シマの健在を見てほっとする。冷静に考えれば不思議なものだが、余命いくばくもないと納得していても一日伸ばしにしたくなる。
 こうなると欲が出てきて、「積極的にすべきだったと後悔し」ないように病院に連れて行こうか考えるのがむしろ普通で、私も必ずその考えにとらわれるし、実行することもあるのだが、基本的には『敗北主義』なのである。『敗北主義』とは何か自分でも良く分からないが、よく生かそうと思えばよく死なそうとも考えねばならず、ようする「積極的に努力したことに後悔する」気持ちの方が強くなるようになっているのだ。死んでしまうものなのに、なぜに無理養生させることがあったのか、で後悔するのが恐ろしい。また、それ以上に、病院に行った甲斐もなく亡くなった時、それ自体はやむを得ないと思えても、病院に行ったから飼い主として手を尽くしたのだと無意識に納得しようとする自分が腹立たしい。
 もちろん、これはあまり病院に行かない私の場合の話だ。第三者の立場なら、病院に行き手を尽くした飼い主は立派だと心の底から賞賛できるのだが、自分自身のことになるとそうはいかなくなる。普段の行いが行いなので、潔ぎの悪さに苦々しくなってくるのだ。言い逃れをしてどうする。飼っている文鳥が病気になった。治らないと判断したので通院せずに亡くなった。誰にどう思われようと、それが事実だ。しかし、少なくとも文鳥自身には何とも思われないだろう。感謝もされない代わりに、憎しみも受けるはずがない。何しろ彼らは自分が「病気」だと認識はしないはずで、その病気を人間が治してくれるとも認識出来るはずもないのだから。それなら、誰に対して言い逃れをする必要があるのか?
 夜、シマはつぼ巣から出てこなくなった。この様子は、「臨終の床につく姿」と見ているものだ。この間、もちろん保温器は増設し、エサを食べやすいようにもしたが、夕方までは止まり木に止れたのでそのままにしておいた。ここで『敗北主義』に徹しきれずに最後の抵抗としてつぼ巣を下段に移すなどバリアフリー化するのが常だが、今回はやめた。邪魔しない方が良い気がする。
 もっとも、軽い呼吸器症状を見た段階で(今日になってクチバシは閉じるようになってはいたが、ようするにそれだけ呼吸器の活動が弱まったのだろう)、口への点滴や給餌の努力は危険なので一切しなかった(軽く誤嚥しただけで即死しかねず、無理に捕まえようと追い回せば心停止しかねない)。
 とりあえず、枝豆をつぼ巣の入り口に置いた。しばらく気づきもしなければ見ようともしなかったが、放鳥終了後確認すると無くなっていた。食べられたのかわからないが食べようとはしたのだろう。手出しをせずに、妻文鳥の後を追って飛んでいく姿でも夢想しておきたい。

 さて、シマはそもそも何歳か、お店で購入した成鳥の実年齢はわからない。お店が特に何年何月頃と言わなければ(本当は説明しなければならない)、購入の1年前が目安になるはずだが、飼い主としては何となく長生きしたと思いたいので、購入した時にはかなりの年齢に達していたのではないかと考えたくなる。
 その点で、また『文鳥様と私』9巻の話になるのだが、作者は購入時に後頭部が白かった桜文鳥に対し、その白いのは「白髪」と見なして、実は3、4歳になっていたのではないかと疑惑に思っているようだ。最初は冗談だと思って読んでいたが、繰り返すので本気なのかもしれない。しかし、桜文鳥の白斑が後頭部に出ることなど珍しいことではないので、たまたま頭にある白い差し毛を「白髪」と見なすのは不適当だ。初めからそういう模様をもった個体なのだ。もちろん、加齢によって白い差し毛が増えていくことが多いのも確かだが、それは元の姿を知らなければ、増えたのか元々そうなのかわからない。
 当然ながら、お店で何年も売れ残った文鳥も皆無ではないだろうし、実は一般家庭から譲渡された年齢不詳の文鳥である可能性もゼロではないが、それ以上に、繁殖家なり生産農家が「廃文鳥」(そういった呼ばれ方はしないと思うが、卵を産まなくなったニワトリは「廃鶏」と呼ばれ加工食品などになってしまう事実は事実としてあるのが経済動物の現実)として処分した文鳥たちが流通している可能性は大きい。その点かなり古い『畜産全書』によれば、「一般に種鳥としての使用年数は、2、3年目がよく4年目には成績が低下する傾向にあるのでさけたほうがよい」とし、愛知県弥富の例では「1~3歳を親とする」「3歳の親鳥は6月の換羽期が来たら出荷処分」しているし、静岡県浜北の例では「産卵能力が低下したり、繁殖用に適さなくなった種文鳥は商人に」「引き取らせている」。つまり、繁殖に用いられた文鳥が市場に紛れ込んでくる可能性はゼロではないので、まさに購入時に3、4歳であっても不思議は無い(「処分」などと嫌な言葉だが、あくまでも農業の畜産品としての扱いになっている)。
 それでシマだが、どうだろう。それほど疲れ果てた様子はなかったので、購入時に3、4歳に達していた可能性は低いのではなかろうか。2004年の夏に買っているから、前年の秋生まれと考えれば現在5歳、その前シーズンなら6歳か、まだ若いのになぁ、と年齢を尺度にしないことにしていても、やはりため息が出てしまう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました