目立たぬことのありがたさ

文鳥夫婦
わりと目立たないコウ・ノロ夫婦

 昔、コラムだか何だかで、同窓会で尊敬していた恩師に会ったら、相手が自分のことを覚えておらずショックだったといった話があった。その教師が尊敬に値する人物なら、実は覚えているが覚えられていて当然といった元教え子の態度をたしなめようと知らぬ振りをした可能性もあるが(小賢しい文章を書くような者は学生の頃から小賢しかったに相違ない。教師など毎年何十人、累計では数百、数千の教え子がいるわけで、全部覚えている天才などいない)、本当に忘れていたとしたら、忘れられるほど目立たなかった教え子に心の底から感謝しなければおかしい。なぜなら、そういった手のかからない生徒のおかげで、教務やら授業の下調べやら手のかかる生徒に時間が割けたのだから。もちろん、当時の問題児たちもその当時地味だった存在に感謝しなければ、人倫の道に反すると言って良いだろう。
 他人に迷惑をかけずむしろ恩恵を施している人間こそ褒め称えるべきで、それに値するのはクラスの中で存在感が極めて希薄だった者だと見て間違いない。したがって、もし恩師に一方的に忘れられていたら、それだけ迷惑をかけなかった自分を誇りとすべきなのである。教える側も、数十人の顔と名前など覚えられそうもなければ、「名前を覚えられない生徒が一番偉い!」とあらかじめ説明しておくべきだろう。入学式前に顔写真と名前を照合するなど徒労だ。
 したがって、飼い主の私は、問題を起こさず目立たず健康で地味でいてくれる文鳥には、心から感謝をしている。何とありがたいことか!ただ、文鳥の場合はほとんどが問題児だ・・・。

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