温水浴びに興じるカエ
落語家の桂歌丸さんが、ご病気で入院されたそうだ。浜っ子だ。三日住めば浜っ子を称して構わないと思うが、生まれも育ちも横浜の下町の人だ。小鳥の病院でもあるグローバル動物病院に行かれたことがある人なら、横浜橋商店街は理解できるだろうが、あの辺り。横浜の人間としては、快癒を祈るばかりだ。
個人的には笑点は見ていないのだが、林家こん平さんも円楽さんもご病気で降板されたし、ここはやはり「笑点というよりも終点です」、と不謹慎でも落とすべきだろうなぁ。
我が家のハゲ文鳥シマは元気だ。一羽暮らしにも慣れて悠々自適、朝はエサを換えると喜び、青菜を入れればひたすら食べ、夜は早く出せと開閉口の前で待っている。エコを追いかけるが相手にされず、何が楽しいのか傍目にはわからないが、自身は満足なようだ。
婿もマイペースだが嫁もマイペースで、今日はカエが派手に水浴びをしてくれた。ストレスがなさそうで、実に結構なことだ。
【長すぎる余禄】
11代目の嫁、もしくはシマの後妻候補のメス文鳥は、この際ペットショップに言って繁殖家から仕入れてもらうことにした。「黒いの」と希望しておいたが、さてどうなるだろうか。
ところで、我が家は代々、飼い主である私が選んだというか見つけた嫁や婿文鳥を迎えて夫婦になっている。昔の飼育書にあるような、ペットショップに連れて行って相性を見るなどということは、一度もしていない。面倒以前に無意味で、むしろ危険が大きいからだ。この考えは、某ペットショップで嘘のような現場に鉢合わせる以前から持っている結論だが、参考までにその事件を書いておこう。
嘘のような現場、私がその店に入ると、ご夫婦らしき老人たちがいて、何やら店主ともめていた。もちろん君子危うきに近寄らず、知らぬ振りをしていたが、話し合い、というより老婦人の悲しみに満ちた言葉にうなだれて聞くだけの店主、という状態が果てしなく続きそうな形勢であった。明らかに深刻なクレームで、店主と少々話がしたかった私はイライラしてうろうろし始め、ご夫婦が持ってきたらしいカウンターに置かれたマス箱をのぞいたところ、そこに白文鳥と桜文鳥が入っているのを確認した。文鳥の話だ。そして老婦人の手には布に包まれた小さな物体が・・・。
何となく事態が飲み込めてきたが、文鳥でのもめ事なら、第三者として介入しなければなるまい。当事者が争う現場にいる第三者は、やはり面倒でも仲裁に立たねばなるまい。それが社会人の、特に男の責務だが、まして文鳥の話ははっきり専門分野なので、これを無視しては、「義を見てせざるは勇なきなり」になってしまう。そこで、こちらもうろうろしている老人と話すことから始める。こちらが、相当に文鳥に詳しくお店にも詳しい珍しい人間である人間であることを示し(何代も代重ねしていて、お見合いはいらないとか、どこそこのお店で文鳥を売っているとかいった話)、そして当然のような顔をして口出しを始めた。まず事情を聞こうではないか。
・・・ようするに、老夫婦が飼っていた夫婦の手乗り文鳥のメスのほうが亡くなったので、オス文鳥に新たな嫁を迎えるべく、このお店に愛鳥を連れてきて相性が良いメス文鳥を探してくれるよう依頼して預け、何日後かは知らないが迎えに行ったところ、桜文鳥と白文鳥を渡され、桜が明らかに違う個体でしかも両方オスだったため、今日ご夫婦で説明を求めに訪れたところ、冷蔵庫だか冷凍庫に保管されていた遺体を渡されたと言うのだ。
おお!悪徳獣医師が替え玉を使う話は聞いていたが、ペットショップでやるとは!あきれながらも店主に事情を聞けば、メスと思われた白文鳥と一緒にし一晩明けた朝方、預かった桜文鳥が底の隅で丸くなっていたので、ストーブの近くに移動させるなどしたが亡くなってしまい、申し訳ないので言い出せず、似た文鳥を引き渡してしまったと言うのだ。
遺体を取って置いたり、指摘されて取り出したりするからには、企まれた悪意はさほどなかったであろうが、手乗り文鳥、それも模様が多様な桜文鳥の飼い主で、個体識別が出来ない事など有り得ないので、店主の行動はあまりにもお粗末であった。その場だけ繕ったところで、後で丸裸になってしまえばよほど迷惑であろうに。
家族同然の文鳥を失ったことさえ、初め告げられなかった飼い主の怒りは、もっとも過ぎるくらいのものだ。お金をもらって治まるものではなく、この持って行き場のない怒りを、どのように鎮めれば良いのか、自分でも見当がつかないだろう。しかし、この衛生的ならざる店に、妻文鳥を失って傷心の文鳥を置いていくとは、私に言わせればあまりに軽率な行為であった。亡くなった文鳥君にしてみれば、この環境の激変は相当なショックになるはずで、ショックのあまり体調を崩しても何の不思議もないのだ。
もちろん、この場でそのように飼い主を責めるわけにはいかない。過失は店側にあるのは確かなのだ。預かった以上体調を崩せばその時点で飼い主に連絡すべきだし、出来れば病院に行くべきだし、まして亡くなったら亡くなったと正直に言って詫びなければなるまい。ご夫婦の怒りも、隠そうとした点に最も比重があるのだ。
しかし、亡くなった者は帰らない。ご夫婦としては文鳥がいない状態となってさびしい。しかしあいにくお店にヒナはいなかった。そこで、店主に餌づけして売れ残ったのはいないのか尋ねると、白文鳥が2羽いるという。そこで、差し餌された文鳥なら、毎日遊んでいれば手乗りになることを伝えた。しかし、ご婦人の方は「嫁」として渡した白文鳥の代金は、2羽の生体を持って帰るなら受け取れないし、お金を受け取るとお金で済ましたことになりそうで釈然としないとのことであった。しかし、亡くなった者は返らない以上、その弁済を手乗りくずれの2羽で償うくらいしかあり得ず、また過失を認めた店側は、お金を受け取ったままではいられまい。そこで、これは亡くなった文鳥自身の代金ではなく、あくまでもエサ代であると適当に説得し、とりあえず若白文鳥2羽と代金の返済で折り合いをつけたのであった。
もちろん、老夫婦が帰った後に、後悔の涙を流す店主には、店で預かるようなことをせず、連れ帰ってもらって、相性が悪ければ交換すると言うように、アドバイスしたものであった(偉そうでしたな、我ながら)。
もしかしたら、ずいぶん店側に同情的と思われるかもしれないが、この店主は嘘がへたくそなので基本的に善人と見る以外になく、いまだに徹底的に糾弾する気が起きないのだ。私も後で他の解決法を検討した際に気づいたのだが、より頭の回転が速く油断できない人物なら、老夫婦のクレームに驚いてみせ、預かった文鳥を間違って知らない人に売ってしまったとすれば、少なくとも死体を前にして泣かれることはなかったはずだ。それは、遺体の供養すら権利すら飼い主から奪う行為で、個人的には許せないが、飼い主に亡骸を渡して詫びるより詫びやすい。まして、売ったのは他の店員(実在するかは知らない)としてしまえば、さらに直接的責任感から逃避出来るかも知れないのだ。それに比べれば、問い詰められ遺体を引き渡して詫びる方がましだろう。
お店はしっかり管理してくれて安全な場所などと言うのは妄想に過ぎず、その文鳥にとって我が家が一番なのが厳然たる現実であることを飼い主は認識すべきだ(よほど無茶苦茶な飼い主をのぞく)。その前提に立てば、わざわざ慣れない環境に持ち出しても、緊張して相性などわかるはずがない事くらい気づくのではなかろうか。意味なく我が子同然の文鳥を危険な場所に連れて行くくらいなら、これから住んでもらうであろう我が家に嫁なり婿を迎え入れ、お互い落ち着いてからゆっくり仲良くなってもらうべきだ。むしろそうする以外に選択肢などないと信じる。
昔の飼育書や、頭の中が昔から変化していないような人物から、「ペットショップに連れて行って相性を見てから決めよう!」などと言われたら、鼻でせせら笑ってもらいたいと、私は心から願っている。店側も、自ら不必要なリスクを背負うような愚は避けたいところだ(今は生体を預かるためには、「販売」とは別に「保管」事業者として登録が必要なことも認識してもらわねば困る)。冷静に考えればわかりそうなものなのに、まったく十年一日で「お見合い」などとと、大概にして欲しい。
もっとも、文鳥はビジュアル重視なので、先に亡くなった伴侶とまるで違う容姿の文鳥を連れてきても、なかなかうまくいかない。逆に言えば、似ていれば見合いなどしなくても成功の可能性は高いと言える。我が家のような集団の場合は、追い掛け回す文鳥に似ていれば成功は疑いようがないと言って良い。事実がそれを証明している。一方難しいのは一羽飼育の文鳥で、これはまず人間を仲間と認識し、色が何であれ他の文鳥を嫌うのが普通なので、誰と見合いしようと文鳥である限りうまくいくはずがない。隣り合わせて飼育し、時間をかけて見慣れさせ、『いちおう仲間の一種』と認識してくれるまで待つしかない。
このように、「文鳥は気が荒く相性が悪いとケンカする」「だから見合いして相性を見る」などというステレオタイプの表面面をなでただけの話ではなく、より深く文鳥という生き物の性質とその気持ちを察して、カップリングを成功させたいものだと思う。
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