シューに追い払われたハル
動きの一瞬を写した文鳥画像が好きだ。もちろん文鳥は静止して取り澄ましていても絵になる。もっと言えばシルエットだけでも十分流麗な生き物だ。しかし、やはり機敏でせわしなく動き回るのが本質なので、どうせ写すならその姿を追いたい。
従って、気の弱い飼い主、もしくはまだ文鳥の喧嘩っ早さを理解していない飼い主なら、ぞっとするような状況こそがシャッターチャンスとなる。その点、卓上水浴び場は最高のロケーションで、特に順番など考えない若い文鳥がいる時期は、デジカメを構えていなければ損をする。
今日は、同世代の間では孤立気味のシューが、ハル・デコと順番をめぐって争い、この先輩たちの邪魔を散々して楽しませてくれた。さらに、イブ・ラックをまじえ、3羽以上で容器の中で大騒動になるような現場を期待したい。
【まさに蛇足】
ARSANAさんの『文鳥と竹林』にもRAKAさんの『文鳥とプルメリア』にも、大満足し、今後も機会があれば散々見せびらかすことにしているのだが、ひねくれ者には全肯定はしゃくの種になるので、問題点も指摘しておこうと思う。それは、指の表現だ。
文鳥及びその他多くの鳥類の指(正確には『趾』と書いて「あしゆび」と読ませるべきかもしれないが、私はこの言葉を使用していない)は、前3本・後1本の4本でなければならないが、前2本で描かれている。その点に注意して、ネット上でバリ絵画に描かれる鳥の指を見ると、前2本・後1本になっていることが多いのに気がついた。
これは、インコ類の指が前2本・後2本であることと合わせて、互いの少ない方をとって、前2本・後1本に表現することを慣習化しているのだろうか。確かに、もし前に指を3本描けばインコとして不自然になり(そういった作品はあった)、一方後ろに2本描いてしまえば、まさに蛇足となってしまう(そういった作品は見かけなかった)。その点外傷などで欠損することは有り得るし、角度によって見えないのだとも解釈する余地があるので、蛇足を描いて通常あり得ない生物にしてしまう危険を冒すよりも無難ではあるかもしれない。
しかし、そういった論理的帰結としての判断を、バリの画家すべてがしているとも思えないので、やはり、鳥と言えば前2本・後1本と描く固定観念が存在し、それが広く浸透して無意識にそのように描かせているのだと思える。しかし、ディテールにこだわらないのが南国スタイルであるとしても、緻密な表現で評価されるプンゴセカンにあって、文鳥にしても他は詳細な観察眼で描いているのだから(RAKAさんの文鳥のつぶらな瞳をご覧ください!)、この指の数の大雑把さ加減は、やはり玉に瑕だろう。少々遺憾なところだ。
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