私は電話が嫌いです。忙しい時に電話をされれば腹が立ちますし、そういった不愉快な思いを相手にさせまいとすると、一体いつ電話して良いのかわからなくなります。・・・今は食事中かも、・・・入浴中かも、お休み中かも。
もちろん携帯電話など論外で、いかに犬でも持ち歩く時代であっても使いません。そもそも、物を考えたり考えなかったりしながらするぶらぶら散歩時に、わが身に帯びた通信機器の奴が鳴り出そうものなら、おそらくその場で叩き壊すでしょう。そのようなもったいないことは出来ません。
あのようなものは、山で遭難時に役に立っても、通常の都市生活においては、首かせであり、そこから伸びたリードと同じです。ご覧なさい。あのようなものが無かった時は、外回りの営業マンはかなり気ままに時間を使っていたものですが、今は少しでもサボれば、携帯電話でぐいと引っ張られるではありませんか。あれでは、確かに営業のお父さんは犬も同然です。
さて、その電話を使った詐欺、オレオレ詐欺がいまだに盛行しているようです。今はいろいろな手口が開発されているようですが、典型的なのは、息子や娘に成りすましてお金に困っていると老人をだまし、お金を振り込ませるといったものだそうです。
こんなものでお金を振り込めるのを見れば、日本の年寄りに金持ちの「親馬鹿ちゃんりん」が結構多いのは明らかでしょう。それが日教組による戦後教育の結果なのかは知りませんが(あの元大臣は、主要閣僚に引き上げてくれた恩人である現首相に対して、完全に礼を失しているので、道徳的とはとても思えません。振り込め詐欺の被害者にせよ、あのあたりの世代から問題かもしれないですね)、仮にもお金を借りようという立場の者が、電話一本で済ますなど非礼であり、まして孝を尽くさなければならない存在と道徳的にはされている親に対して、子として無礼千万ではありませんか!
「馬鹿者!頼み事をするなら目の前で頭を下げろ!」と一喝するのが、親として当然のあるべき姿で、むしろ社会的責務とさえ言えるかも知れません。「マサオちゃん、泣かないで」などとうろたえて、せかせかとATMに向かうなど、一体子を指導し教育したことなどあったのか疑いたくなります。
ところで、私には勧誘電話やイタズラ電話の応対にこっていた時期があります。
ようするに暇だったからですが、例えば、何とか英会話学校の外人女性講師から勧誘の電話があった際は(最初はっきり名乗らない)、小一時間ほど世間話などを続けて挙句に、「興味ありません!」とあっさり却下して電話を切ってしまいました(わざわざ外人女性に会うなど面倒だ)。また、某宗教団体に属する中学校時代の同級生の女性が、宗教の名称も名乗らず集会に誘うのを聞き流しつつも、「そんなことを言っていると地獄に落ちるよ」と言われた時には、即座に「君らと一緒なら、そこが俺にとっての地獄になるんだ」とはっきりと言ってやりました(中学校の同級生に興味などあると思うほうが奇怪だ)。
ペラペラ話す輩には、しゃべりたいだけしゃべらせていたわけですが、無言電話にはそうもいきません。NTTに通話料を払うのは向こうなので、受話器を取ったまま放っておくのはもちろんながら、それだけつまらないので、ある時「・・・ふふふふふ、ケッケケケ、カッカカ・カカ~」と大笑いしてやりました。もちろん、すぐに電話は切られました。
つまり、たいした用でもないのに電話などしてくる者を、おちょくってやろうと常日頃から準備していて実行していたわけで、そうであれば、今この時に自分が老人でないのが口惜しいと思わないでもないのです。
「オレオレ・・・」ときたら、ござんなれと内心大喜びしつつ、「マサオ、マサオだな!待ってたんだよ、今月分、早く送っておくれ~!」と、涙ながらの絶叫で仕送りを催促して、それでも切らない場合は、年金が減っただの、医療費がかさんで病院に行けないだの、さんざん愚痴を言いつつ「マサオ、仕送り~!」と振り込みを要求し続けてやりたいのです。
私ならこの程度ですが(最近はそういった演技をする精神的ゆとりが無いのが残念でならない。最近は「うるせえ、おととい来やがれ!」しか言えない)、被害に合うかもしれないご老人方は、長い人生経験を生かした薀蓄ある対応を日ごろから想定し、余裕を持って受話器を持ってもらいたいものだと思います。
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