水浴び後のイブとラック・シュー
動物の愛護及び管理に関する法律によれば、販売するなど動物の生体を取り扱うことで収入を得る者は、行政に登録せねばならず、営業所ごとに『動物取扱責任者』を置かねばならず、その責任者は年1回の講習を受けねばならないことになっている。
個人的には今のところ生体を商品にしたことはないので、登録する必然性はなかったのだが、なぜか動物取扱責任者になっている。従って、餌づけの最中に、この行政による嫌がらせとしか思えない講習にも参加せねばならず、今回で2回目になる。
前回の講習はひどかった。2時間以上にわたって、国立感染研究所だか何かに所属するおじさんが、感染症の話をレジュメ(本来要点をまとめたもの)に則して、どころかそのまま読み上げていき、その大学のつまらない授業そのものに辟易とさせられたのだ。ただ、人間としては面白みがあり、「~といった論点でございますね」という口癖などは秀逸であった。しかし、その口癖にしても、演者の先生が講演ではなく、学会で同等の研究者を相手に発表しているような気分でいることを示しているとも言えた。この場合、聞きたくもない話を忙しい中強制的に聞かされている聴衆は、各論点から議論をする対象では有り得ないのだ。さらに腹立たしいのは、この行事を黙ってさっさと終わらせたいと願っているはずの聴衆の中に(中にはわざわざ有給休暇をとってくる人もいるだろうし、心配な動物たちを残してきた人もいるはず)、1人のおそろしく空気を読めない男がいて、最後の質疑応答でまったくどうでも良い質問(数値がおかしいと言ったもの)をしたことにあった。一体、演者が時間を超過し、会場の使用時間が押して行政職員等があせり、他の聴衆はさっさと帰りたがっている現実を認識していれば、何者かの生死に関わる以外の質問は控えるのが人としての道理ではあるまいか!
しかし、今回はそういった苛立ちは起きなかった。演者の女史は、国民生活センターで相談員をされている方で、さすがに一般的な常識をわきまえており、持ち時間を2分だけ超過して切り上げてくれた。しかも、今回参加の諸賢は一切何も質問しなかったので、実にスムーズにことが運んだのだった。次回もかくあるべしだ。
なお、年に一回参加費まで取られて、平日の昼間に日時指定で強制に参加させられ、望みもしない話を聞かされ、2~3時間も完全禁煙の会場に拘束されながらも(人が集まる場所での禁煙など当ったり前だと思うが、犬屋のおっちゃん等にはきついのではないか)、動物取扱責任者であり続ける人は見上げたものだ(なかば冷やかしの私のような人間は除く)。特に犬などを購入する際は、少なくとも登録しているかいないかくらいは確認したいところだ。
さて、この年に一度の苦行のため、文鳥たちの餌づけが遅れることになった。正午に与え、雑務をこなして12時30分に家を出て、飛んで帰っても17時になっている。その間5時間に過ぎないが、よく遊ぶ腹っぺらしたちは、カゴの前面にしがみついて待っていた。前にも書いたが、餌づけ回数を2、3回に減らすなど、虐待に近いのではないかとすら思えてしまう。
そのヒナたち、まだひとりエサになっていないが、実はいろいろ自分でつまんで食べるようになっている。すでに孵化40日を超えているイブなどは、殻をむいて食べることも出来るが、甘ったれなので自立しようとしない。実に、親(飼い主)孝行だ。
ただ、飼い主の望みどおりにはならないことも多い。今日、早くもグゼリらしい鳴き声をまだ孵化34日目のラックが発しているのを聞いてしまったのだ。「グゼリのはしり」だとすれば、やはりオスと考えざるを得ない。イブもオスの気配だとすると、残りはシューだけか・・・。逆転はないものだろうか。
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