動物に「里親」「里子」の是非

 某団体の方から、「里親」「里子」という言葉を、文鳥の新しい飼い主探しなどで使用しないように要請がありましたので、次のように即日返信いたしました。備忘のため掲載いたします。

以下メール本文。

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某 様

 文鳥専門「里親・里子掲示板」の管理人です。
 わざわざ丁重なお申し出を頂き、お手数をおかけして恐縮しております。

 しかしながら、説明は長くなりますので結論を先に致しますと、誠に遺憾ではございますが、しばらくは名称を変更の予定はありませんので、ご看過頂くしかないと考えております。

 実を申しますと、当掲示版を設置する際、ペット動物の譲渡に「里親」という言葉を用いることの是非についての意見があると仄聞しており、代替の言葉を、かなりいろいろと考え、結局見つからなかったので(「新しい家族募集・新しい家族に立候補」ではわけがわからないと思います)、あえて選択いたしました。
 言葉というものは、時代により用いられ方が変化し、ペット動物の飼い主が、飼い主というより親の立場となっている現在、子どもであるペットを譲り渡す先を表現するのに、「里親」が最も適当となってしまっている現状がある以上、名称としてのわかりやすさを考えれば、それを選択するのが有効とするしかなかったのです。
 この点貴会におかれましては、『広辞林』にて「里親」についての解釈をなさっていらっしゃいますが、『広辞林』の後継となります『大辞林』には、第三項として、「飼い主がいないペットや、元の飼い主が飼育を続けられなくなったペットなどを引き受けて飼育する人」と明示されております。そのように言葉の意味は、時代により変質付加されるものです。

 本来「里親」という語は、第一項「里子を預かり親代わりになって育てる者」を意味したものと思われます。この場合里子が人間に限定されていたのは当然ですが、その認識は時代とともに変わり、上記のような第三項が付加される状態となっております。一般的に定着してしまっては、これを変えるのは難しいものがあります。
 一方、第二項も「児童福祉法に基づき都道府県知事の委託を受け、保護者のない児童などを引き取って育てる者」は第一項の意味を踏まえて、条文での表現に用いた結果に過ぎません。実はこちらの解釈は、法律の条文における呼称を別のものに変えてしまえば、あっさりと変更は可能かもしれません。

 誠に残念なことながら、悪貨は良貨を駆逐するの例えのように、言葉の流れを変えるのは至難のことと思われます。
 貴会のような有意な団体は、言葉の「誤使用」の指摘以上に、児童福祉法に基づく里親をなさっているような誠実な方々や、問題をかかえながらも努力を惜しまない里子の皆様が、些末な言葉など気にされないようにご啓蒙活動をなさっているはずで、そのご努力にただ敬服するのみです。
 そして出来ましたら、犬猫鳥、ペットの飼い主にとって、ペットは「コンパニオン」とされ、実の子どものように扱われるもので、もし「里親里子募集」とあれば、それは、人間の里親になるくらいのつもりでしっかり育ててくれることを期待しているだけ、つまり、児童福祉法の里親さんたちの真摯な気持ちにあやかりたいだけとご理解頂き、子どもらしい誤解から「非常に不快なショック」を受けられ方などに、ご説明頂ければ幸甚です。

 以上、長々と失礼致しました。

 貴会の今後益々のご活躍を、心よりお祈りいたします。

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 22日返信を頂き、 「里親制度についてどのような誤解をお持ちなのでしょうか?」という疑問形があったので、しつこいと思われるに相違なく、理解もされないはずで嫌だったのですが、さらに長々と返信しました(面倒なのでわざと名乗らず、おそらく不毛なので返信をお断りしました)。

某 様

>ジャクボー様は、里親制度についてどのような誤解をお持ちなのでしょうか?

 特に誤解もしていないと思います。
 少なくとも人間の里親制度が、ペットの募集掲示板で譲渡されるような安易なものであるはずもなく、名詞が共通するからと言って、内容を混同するはずがないものだといった程度の、ごく常識的な認識は持っております。
 当事者ではないので、一般的な知識しかありませんが、おそらく皆様方が、実社会において直接的に、一部の無恥な人間から受けていらっしゃるはずの偏見や差別について想像はつきますし、それが不当なものとする憤りは、大多数の一般市民と同じくらいに持っていると思います。また、先に申し上げたように、掲示板の名称を考える時に少し調べて考えたので、おそらく普通の人より細かなことも知っていると思います。

 私が個人的に心配するのは、まるで何の知識もなく、むしろ何らかの誤解に基づく偏見を持っている人間が、貴会の活動のごく一部である「里親」という言葉の限定化についての啓蒙活動をどのように考えるかと言った点です。
 一時一部の人権団体が推進した差別用語の撤廃運動は、現在過度の言葉狩りとして、かえって奇異な目で見られる事態にもなっているのは周知の事実です。事情を理解できない人間が、単純にそれと同一視してしまうことを危惧している次第です。

 ご承知のように、個人や団体が行うレスキュー活動と、掲示板の管理人は立場が異なります。掲示板は場の提供に過ぎず、その場に集まる人は特殊事情などわかるはずもない一般の人が多いため、一般的に使用される用語を看板なり説明で使用しなければ、場に人を集めることが出来なくなります。
 私は個人は、掲示板に人が集まっても集まらなくても、何も困らないのですが、集まれば集まるだけ新たな出会いがあるのが事実ですので、一般的に一番理解されやすい用語を用いる必要が出てきてしまいます。

>「里親」「里子」を本来の使用対象以外にしよするのは、「里親・里子」の
>尊厳を傷つけ損なうものと考えられます。

 繰り返しても、理解して頂けないと思いますが、いちおう文系のものとして一言申し上げます。
 言葉・単語そのものに、本来とか本来でないとか、そういった区分はあり得ません。本来の目的でないと一部は認識し、それがいかに正当な主張であっても、大多数が本来的には誤った目的で使用していれば、それが既成事実として変わってしまうのが、言葉・単語というものです。
 「「里親・里子」の尊厳を傷つけ損なう」ので、使用はなるべく避けるように軽くご要請になるのは、私は何の問題もないと思いますが、言語学的にも法律学的にも認めがたい、『使用対象以外』と強調され、辞書の条文を例示されるのは、お控えになった方がより説得力を増すことが出来るように、老婆心ながら愚考いたします。

 さらに長々と失礼致しました。
 なお、お手数をかけて申し訳ありませんので、ご返信のご心配は無用にお願いいたします。

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