聖火一過

 なぜチベットの人たちや、それを支持する人たちが、政治とは無関係という建て前のオリンピックを契機として、「フリーチベット」などと場違いに訴えるのでしょうか?
 とりあえず、「オリンピックに政治のゴタゴタを持ち込んで欲しくない」とか、「聖火リレーは楽しくにこやかに行いたい」などと、何も知らない他人事として綺麗事を並べる前に、チベットの歴史的事実と現実を踏まえたいところです。

 まず、チベットは歴史文化的に大昔から漢民族の支配領域とは違っていました。そもそも同じであれば、西遊記の玄奘三蔵はあれほど苦労するはずがないのです。漢民族にとってチベット民族の居住する西域が広大な異界という共通認識があったからこそ、あのような大衆文学が生まれたと言えるでしょう。
 あまり古い話をしても仕方がないですが、とりあえずダライ=ラマを祭政の指導者として現在に続くチベット政府(ガンデンポタン)にしても、17世紀にポタラ宮が整備された頃には成立していました。それだけでも300年以上の歴史があるわけです。一方、当時漢民族の居住する中国は、満州族(女真族)による征服王朝である清帝国の支配下にありました。この清帝国は強大で、チベットもまたそれに帰属する、悪く言えば隷属する状態になります。しかし、ダライ=ラマもその政府も存続し、宗主国である清帝国は属国の宗教に介入などしないので、大幅な自治が認められる状態であったと見なすことが出来ます。
 その後20世紀に清帝国が弱体化し滅亡すると、中国の内戦状態の混乱の中で長くチベットの位置づけはあいまいなものになりました。チベットは独立国家として国際的に承認されなかったものの、実質的に独立国家として存在する状態になっていたのです。ところが、欧米列強の侵略、軍閥の割拠、国民党の台頭、中国共産党の出現、満州国の建国、日本による侵略、国共(国民党・共産党)の内戦といった混迷から、1949年中国共産党による統一が実現すると(中華人民共和国)、「チベットは中国の一部」の実現に向けた動きが一気に現実化します。1950年には早速人民解放軍が軍事的に制圧し(チベット侵攻)、翌51年には中国側の圧倒的軍事力の元でチベット政府を中国の一地方政府として位置づけられたのです。
 中華人民共和国の指導者であった毛沢東の掲げる共産主義は、基本的には宗教を否定するものですから、「民主改革」「社会主義改造」の名のもとで、チベット仏教を生活の中心におくチベットの伝統文化との軋轢は避けられませんでした。そして、チベット人たちの不満が募った結果として、1959年中国勢力の一掃のために東部のチベット人たちが武装蜂起し(チベット動乱)、結果、動乱はチベット政府が地方政府として自治を行う西部地域に波及、人民解放軍(中国軍)の圧力にダライ=ラマはじめチベット政府はポタラ宮を脱出し、ヒマラヤを越えてインドに亡命政府をつくって今日に至っています。

 ダライ=ラマは政治権力のみではなく、生き仏と位置づけられる宗教的存在で、チベット仏教の信者にとっては最も重要な崇拝対象です。それは、彼がポタラ宮を追われてからも続き、普通の信者ならその肖像を掲げるのは当然と言えます。
 ところが中国政府はこれを認めず、チベット仏教ではダライ=ラマに次ぐ存在であるパンチェン=ラマの後継者選定に介入し※、その存在を利用しつつ、ダライ=ラマを信仰する人々を、チベット仏教の中でも異端な「ダライ集団」として迫害しているのが現状です。

※ チベット仏教においては、死んだ人間は再び別人として生まれ変わる転生が信じられており、ダライ=ラマやパンチェン=ラマの地位も、自身の生まれ変わりである子ども(転生霊童)に継承される。
 1989年にパンチェン=ラマ10世が亡くなったので、1995年にダライ=ラマ14世のチベット亡命政府は、6歳の少年を転生霊童と認めて公表した。ところがその3日後には、転生霊童とその両親を中国当局が連れ去り(中国政府は「保護」としているが、現在までその所在も安否も明らかでない)、別の少年を転生霊童として国家的に認定した。
 なお、俗物的にもこの転生による地位の継承は合理的だと、個人的には考えている。なぜなら血縁による世襲制では、先天的に問題のある人物が権力を握る恐れがあり、また、前任者の指名で決める場合は、前任者の恣意が働き客観的に問題が生じる恐れがある。転生霊童を後継とするなら、そういった問題は生じない。両親が善良で有能そうな子どもを選んで、静かな環境で正しく育てれば、暴君の出現はまずあり得ないのである(伝統的価値観がその集団の共通認識とされていなければ継続は困難)。

 チベット仏教徒でなければ、ダライ=ラマを生き仏として敬う必要はありません。また、祭政一致という制度については疑義もあるところです。しかし、それがチベット民族の文化であれば、他民族はそれを尊重し、変革が必要なら彼ら自身で行わせるのが、民族自決の原則だと信じます。
 しかしながら、現在までの中華人民共和国の行動は、チベット人たちの個々の信教の自由を認めず、文化を破壊し、チベット民族を政治的に分断するものと見なされてもやむを得ないところではないでしょうか。
 このように個人の信仰にまで露骨に介入する国家権力の圧力に対し(今回の暴動でどのような鎮圧行動があったかは分からないが、外国メディアを完全に排除して実態を隠した、中国当局の考え方は露骨に分かった)、「フリーチベット」を叫ぶ人々に同情するのは、自由民主主義を前提とする国の人間としては当然でしょう。まして、多少とも問題の背景を知っているなら、にたにた笑って聖火リレーを見送ることも、ましてそれを掲げてハイタッチしようなどと、年を取るほどにどうかしてきているのかも知れないコメディアン以外には考えることも難しいものと思います。平和だとか、人権だとか、人々の幸福を祈るなら、まずはチベット人たちについてのそれを考えるべきで、そうした現実的な思いやりを掛けられるわずかばかりの知性があるなら、加害者側と見なされうる国家が、その国家の威信を掛けて開催するスポーツ大会に対して(中国当局は、客観的な他国のメディアを締め出した時点で、正当性を疑われる立場に自らを追い込んでしまった)、自由民主主義を基本とする社会の一員としては、人権的に疑義のある国家の行為を認めない姿勢を示すため、笑ったり手を振るなどせず、義務的に黙って聖火リレーするしかなかったと、私は思います。

 オリンピックを開催することにより、中国がより良い方向に向かって欲しいと言うのが、観音菩薩の化身であられるそうなダライ=ラマ14世猊下のお考えのようで、個人的にもそうあってもらいたいと思っています。
 今現在、人権意識の強い欧米にしても、昔は帝国主義に基づき、未開の人種を保護だとか教化するとして(人間未満なので動物並みに保護対象とした。彼らは人類進化において白色人種を最終型とし、有色人種を下位の存在と見なすのを科学的と思い込んでいた)、植民地獲得競争に明け暮れましたし、日本もその後塵を拝しつつ、当の中国を政治的に分断し領域的に蚕食しました。あのアメリカ合衆国にしても、強圧と欺瞞で先住民族のインディアンの居住地を奪い、その宗教的聖地を汚した過去を背負っています。その点日本も、北海道のアイヌたちに対し、やはり保護の美名のもとに、その文化の多くを葬り去りました。
 悠久の歴史を持つ現在の中国の特に漢民族の人たちが、「昔欧米も~」とか「昔日本も~」などと主張したくなるのも道理ですが、「人のふり見て我がふりなおせ」と言われるように、せっかく悪しき前例を承知しているのなら、それを踏襲する必要はないと思います。
 オリンピックを機会に、開かれた中国、文化思想的にも将来世界をリードし得る姿を、全世界に是非アピールして欲しいところです。

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