文鳥は亭主関白なのか

妻の前で浮気をする文鳥の図
妻(マル)の前で浮気をする文鳥(シン)の図

 人間社会においては、社会的立場が性差以上に重要だと思っている。例えば、タクシーの運転手が男でも女でも関係ない。何しろ、彼なり彼女は「運転手」以外の何物でもないので、そういった社会的立場で人を見ている限り、その人が男でも女でもどうでも良い。
 頭の悪い教師と生徒が恋愛関係になるというお話は、ずいぶん昔から存在するものだが、それぞれ教師と生徒という社会身分である以上、性差に基づく恋愛など本来あり得るはずはないものである。恋愛は自由ではない。教師はオスであれメスであれ教師と呼ばれる社会的存在であり、生徒もオスであれメスであれ生徒と呼ばれる社会的存在以外の何者でもない。
 ただ、生き物として見た時、性差による違いは厳然として存在すると認識している。これはやむを得ない。平均レベルの男以上の身体能力を有する女は多いに決まっているが、常人をはるかに超えたレベル、例えばスポーツの記録において、女性の世界記録が男性のそれを超越することは、まずあり得ないのである。

 さて、文鳥には社会的な立場というものがない。となれば、人間よりも自由といえる側面もある。オスの浮気だ。これはまったく平然と、妻の前でも臆面なく他のメスに求愛する。
 さらに性質の悪いことには、逆に妻が浮気しようものなら、多くは妻が散々に折檻されてしまうのである。何と言う亭主関白ぶりであろうか!
 しかし、これは生き物としては普通の態度だ。何しろメスは、浮気相手の子どもであろうと、産んだ子は自分の遺伝子も引き継ぐ存在に違いない。一方、オスにとっては「赤の他ニン」となってしまうので、断じて妻の浮気は許せないのだ。
 このように見ると、不義密通の妻を何人も妾を抱えた夫が殺害して良いという、大昔の制度などは、物を知らずに「じぇんだふりー!」などとわめいている他愛ない人たちが信じるような、男尊女卑の表れではなく、たんに生物としてのオス側の立場の弱さを示しているように思われる。
 それにしてもシンの奴は、妻がもてないのでやきもちを焼くこともなく、浮気し放題。実にお気楽な立場ではないか!

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