颯爽と降下中のポン
以前、最初の文鳥はたくさん写真に撮っても、次回以降は減っていくという話を読んだことがある。なるほど確かに、最初は興味深深でも、徐々に慣れてしまうのが普通かもしれないと思ったが、私の場合は撮影量が増えている。何しろ、文鳥は個性が強烈な生き物なので、代を重ねても飽きないし、コンパクトデジタルカメラは代を重ねるごとに、(基本的には)撮りやすくなっているのだ。、
今となっては遠い過去だが、フィルムの時は、現像されるまで何が写ったか分からず、特に飛行写真は至難の技で、うまく撮れていた時は狂喜したものだった。今はその感動がなくなった。しかし、撮れないより撮れた方が良いし、現像代もかからないし、無駄がない。
ただ、保存していたデータが消え去ったりする。この間はパソコンのハードとともに数か月分のデータが失われた。・・・バックアップをしよう。
さて、ヤッチが昨日から帰宅時に腕に乗らなくなった。彼は自主的に帰らないので(気がむくと稀に帰るが、誇り高い彼は追い立てられて帰ることはない)、消灯して捕獲するしかないのだが、悲鳴を上げるので困る。
・・・、まだ早いと思うのだが、やはり換羽だろうか。何が起きるのか先が読めない。
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