不治の病は気楽

いつもの光景
いつもの光景

 胆のう腫、文鳥特有とも言えるらしいこの病について、改めてネットを見ていたら、やはり誤解が多い。胆のう腫が疑われたが治療の結果治ったとか、治療の甲斐あって数ヶ月延命してくれた、といったものだ。
 しかし、疑われていただけのものは治ったのではなく、もともと胆のう腫ではなかったと考えるのが常識的判断であろうし、また、胆のう腫は、特に治療しなくとも数ヶ月生きながらえるのは(初期に発見した場合だろうが)、昨日引用したとおりなのである。もちろん、通院した飼い主も、それに耐えた文鳥も、治らない病気の治療に挑戦した獣医さんも十分偉いが、それで治ったとか延命したなどと簡単に言われたら、とても信じられないと言うしかない。早期発見しても、何ともならないから治療法がないとされるのだ。
 我が家には、胆のう腫で亡くなったと思われる文鳥が一羽いた。ソウ。カンにとっては、曾祖母にあたる文鳥だ。異変に気づいて2ヶ月で亡くなったが(おそらくより以前から腫瘍はあったのだろう)、前日までわりに活発に動き回っていたと記憶と記録が残っている。・・・飛べずに徐々に衰弱していくのも気の滅入るものだが、その日が近いと思いつつ過ごすのも居心地の良いものではなさそうだ。しかし、文鳥自身は死の予感にさいなまれることはおそらくなく、感覚としては痛みよりだるさだけと思われるので、その点は救いがある。闘病期間について、入院中の人間の孤独な葛藤を重ね合わせることはないのだ。
 体調が悪い文鳥を遠い病院に連れて行ったり、待ち時間で悩んだり、投薬を嫌がられたり、そういった必要が無いのは、飼い主よりむしろ文鳥自身にとって幸せとも言えるはずだ。当たり前だが、病院に自分から通う文鳥などいない。治ると思うから、飼い主が無理をして連れて行くし、嫌われても投薬する。不治の病だと知れば、文鳥の「意志」に背くかのような(文鳥は事態を把握できないので実際には人間のような思想信条に基づく意志はない)悲壮な決意をしないで済む。つまり、気楽とも言える。
 そのように考えたいものだと思う。

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