宮藤官九郎さんの大河ドラマで、東京下町の職人が富士山を箱根山と間違っているようなセリフがあり、勘九郎さんは富士山を仰ぎ見て育たないから無知なんだな、と思った。なぜなら、富士山を富士山と思わない江戸っ子など有り得ないからである。
オンギャーと生れて神田上水の産湯に浸かった赤ん坊の背後には、それが存在するのである。その赤ん坊が元気に育っている長屋の住人の中には、白い服を着てそれを目指して旅に出る者がいて、そういった人たちがそれから持ってきた石を積んだものが、近くの神社で「せんげん」などと呼ばれていたりする。・・・それ、富士山と知らずに生きるのは不可能なのである。
確かに、江戸の中心より南の富士は山に隠れて頭だけしか見えなくなるので、あれが富士山?となるかと思うが(私の説では、江戸城の富士見櫓から仰ぎ見る富士山に「なんか違う」と思った徳川家康が、稜線が綺麗に見える角度を探してウチの近所【川口市北部】に来たことになっている)、それは点の理解でしかない。実際、江戸の北では景色も変わり、そもそも、いつ何時でも晴れたら南西方面を見て富士山を確認するような行動を自ずとしてしまう地域の人間のことを理解していない証拠にもなってしまう。
さらに昨秋放映されたらしいNHKの『歴史探偵』という深夜帯の番組の「富士山と日本史」をテーマにした回では(「所長」の佐藤さんをアゴ&キンゾーの桜金造と勘違いしていたのは私だけだろうか。『平清盛』で家成卿を演じられていたが、「キンゾーがずいぶん演義がうまくなった!」と驚いたものだ)、富士山が軍国主義の象徴となった「悲しい歴史」を持つ、などと気の毒がられてしまっていた。
だから、軍国主義=悪とするのが単純すぎるのだが、それを置いても、富士山という信仰対象所それこそズバリのご神体に対して、お前ら、同情などと僭越だとは思わないのだろうか。当時の日本人も、日本の象徴として富士山を見ていただけで、軍国主義もヘチマもあるまい。
ちなみに、我が住む里(川口市神戸)の近所には、家康が座って富士山を愛でた腰掛石があり、北の木曽呂には富士塚があり南の鳩ケ谷には、江戸後期に富士講の一派を成した小谷三志が生まれ育っている(女人禁制だった富士山にこっそり女性と一緒に山頂まで登山して、こっそりのわりには大々的に喧伝する、すごい人である)。
富士山が付いて回るのが、昔の武蔵国や相模国の地域性と言って良い。他地域の者が、勝手に象徴として見当はずれな批判などされても困るのである。
さて、フジだ。軽薄の独り善がりで凋落した8チャンではない。ウチの富士、見、台小学校は、出身小学校の名前だ(「我が富士見だぁいぃしょおーがっーこー)。ウチのキンカは不死身のフジちゃんだが、もう飛ぼうとしている。まだ孵化20日目に満たないのに、である。
これほど成長が早いのに、差し餌を卒業するのに2週間以上かかるのだから、ほとほと不思議な生き物だと思う。
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