良い子の20代目オレと田中鳥獣店出身のマイ(ター)
永らく使わせてもらっている楽天ブログだが、書こうと思った時に「広告を見ろ!」などと、鬱陶しい限りなので引っ越す予定だ。せっかくなので、ワードプレスに過去の記事ごと移行しようと、ごちょごちょし始めたが、それはそれで面倒なので、実現がいつになるかは未定だ。
さて、以前は、鎌倉古道をたどって歩くという良い趣味の人が世の中には多くいて、おかげであやふやだった道筋が明瞭になってきていて驚かされた。昨日は、杉山神社について疑問を感じて調べられてブログなどで公表されている人が複数いらっしゃるのを知って、感心しながら読んでいた。
その中に、横浜の急坂を測っている記事で呆れつつ感心していた記憶のある「はまれぽ」も、少々以前だが、杉山神社に着目して調べてくれていて(こちら)、手間を省いてくれた。昔の郡にプロットしたのは、鋭い。武蔵国南部限定で多く所在し国境を接する相模国に所在しないのは、その創建が、自然発生的なものではなく、何らかの行政区分に基づいていることを示しており、鎌倉御台所北条政子の所領(化粧料などと称されたかもしれない)だったと見なし、ついでに、頼朝の息子貞暁が政子の依頼でその領内に整備したのが杉山神社、とする私の説?を補強してくれる。
なお、頼朝というキーワードがある以上、土肥の杉山は、相模国真鶴の土肥以外の選択肢はない。石橋山で平家方の軍勢に敗れた頼朝が隠れ潜んだのは土肥の椙(杉)山に他ならず、その由緒を示す以外にその地名を出す意味はないのである。おそらく、西伊豆の土肥が江戸時代に金山として著名になったので、錯覚したのだろう。「頼朝様が隠れて敵をしのいだあの相模の杉山」から勧請した、でなければ、杉の生えた山などどこにもあって無意味なのだ。
さらに推測を重ねれば、真鶴の古刹五所神社は、「天照大神以下五柱の神霊」を祀っており、アマテラス以外の神様がどなただったかわからないが、娘のイチキシマヒメを含んでいた蓋然性は高く、海浜や水辺ではこの女神様を祭神としたのかもしれない。つまり、同じ杉山神社でも、主祭神が違っていて不思議はない。
と言うわけで、近くのイチキシマヒメを含む神様を祀った神社でお茶を濁そうとしたが、年に一回くらいは杉山神社にお参りしないといけないような気がしてきた。・・・田中鳥獣店の弥栄を祈る。
↓は急に飛べなくなってしまったサチィだ。美魔女だが寄る年波には逆らえないのだろう。もう1羽の美魔女クワァ様の飛翔能力も落ちた。それと同居するモーリも老け込んでしまった。・・・なるべく室内を温かくしたい。
コメント