病気は隠れようもない

 たびたびたびたびつどつどつどごとに繰り返しているが、小鳥は病気をかくさない。「小鳥は病気をかくすからねえ」などとしたり顔でのおっしゃる獣医さんがいたら、私なら幻滅して信用できなくなるだろう。例えば、↓は昨夜のミトの様子だが、隠すどころではないのである。それが闘病のリアルで、それすら理解できないようでは、一体何を診てきているのか疑惑が生じるではないか。
 また、「飼い主の前で元気に振る舞って病気をかくすのは、外敵にわかれば襲われるからだよ」などと言うベテランの飼い主がいたら、長年かけても他者の気持ちを慮ることが出来ないタイプの人に飼われた文鳥を気の毒に思えてしまう。なぜ、伴侶として信じて寄りそってくれている文鳥が、伴侶の飼い主を外敵と見なして弱みを見せないようにする、などと信じられるのであろうか?
 日々にしっかり分かっていたはずなのに、有識者と思い込んでいる間違いだらけの人たちの空言に乗せられて、最期の最後に今まで築いた信頼を傷つけるようなことがあってはなるまい。賢らに他人の空言をもてあそばず、自分のこれまでの経験を信じてもらいたい。

 昨夜のミトは、カゴから出られないが食欲を満たすためにテーブルに行きたい一念で、飼い主に助けを求めた。差し餌で育った手乗りだが、手を嫌って自分でカゴに戻るようになり、捕まれればギャーギャー騒いで抵抗する文鳥が、掃除をしている飼い主がふと見上げるとエサ箱で待っているのである。そして手を差し伸べれば手のひらに這って出て、テーブルの上でエサを食べ、疲れれば餌箱の中でまどろみ・・・、どのあたりが「外敵」を気にした振る舞いであろうか?
 臨終の文鳥は、消化機能が低下したり、腫瘍が肥大して栄養不足になったり、低血糖状態になって飢餓感に苦しむことになる。食べるふりをしているのではなく、生きながらえようと頑張らなければならないのである。もはや外敵を気にする余裕などなく、手乗りなら、使えるものなら疎遠な飼い主でも使う、それが現実である。ゆめゆめ、現実を知らない人の戯れ言に付き合ってはならない。せっかくこの記事に目を通す機会があったのだから、臨終に向き合う時には思い出して、生きる努力をする自分の文鳥

を称えて、出来る限り寄りそってもらいたい。文鳥は飼い主を外敵などとは見ておらず、助けてくれる存在と頼ってくれているのが感じ取れるはずである。



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