ウチの弁天様サイカ嬢、母チバと父マツの良いとこ取りである
明倫(【現】清風高校)の「政子の井戸」のある急坂が鎌倉古道の下道(しもつみち)で、愛犬パピーを連れて歩いた国大跡(【現】清水ヶ丘公園)への人気のない舗装道が街道筋と知って、昨年絶句したが、あれをたどって今度は真っ逆さまに下って例の蒔田(まいた)に出てから南進してずっとずっと行けば、私が昔泥沼にはまって大刀洗で足洗いした朝比奈越えで鎌倉に入る。
一方、鎌倉古道の中道は、北鎌倉方面から巨福呂坂を越えて鶴岡八幡宮の裏手に出るわけだが、それは私にとって高校への通学路だ。その中道をずっと北上すれば高田馬場、戸山、西早稲田という、大学浪人時代に自転車で予備校へ通った道筋で、さらに北上すれば近世の日光御成街道と重なることになり、それこそ現在の私が最寄り駅の新井宿に行く際の順路なのである。
・・・鎌倉古道に縁がありすぎるのではないか、私は。
縁があると言えば、田中鳥獣店からの帰り道に賽銭を投げ入れた神社、私が通園バスで通った幼稚園があった杉山神社だが、調べてみると、とても古い由緒があり、800年ほど昔、源頼朝の息子(妾腹)貞暁が創建したとあった。
・・・う、また鎌倉関係・・・と、ギクッとしたが、そればかりではなかった。幼児の私が毎朝本殿前で整列してご挨拶していたその祭神こそ、市杵島姫(イチキシマヒメ)、水の女神様で、となればその女神様こそ弁才天、弁天様だ。さらに、杉山神社からそのまま鎌倉街道を関内方面に30分ほど歩いて行けば、手前の羽衣町に赤鳥居の神社があって、それこそがそれなりに有名な横浜弁天で、何を隠そう私が生まれた産婦人科病院はその裏に所在する。・・・これは、生まれた瞬間から弁天様にも縁があるらしい。まずい、あの神様は音楽家のヘビ使いで嫉妬深いヤバいお方だ!知らなかったで済ませてくれるであろうか?・・・ま、許してもらおう。
かくて、幼くしてヘビに魅入られ、鎌倉古道をウロウロしている私の基礎構造が明らかになった。縁があるのは前世からの~、などと言い出したいところだが、案外縁がつながるのは当たり前で、普段知らずに過ごしているだけで、知ったところで良いように勝手に考えれば済む。
それより、私の想像力は北条政子と貞暁に向かってしまう。政子にとって夫頼朝の浮気によって生まれた貞暁は、忌むべき存在で『吾妻鑑』では憎悪して遠ざけたようになっている。しかし、政子様の下僕である私から言えば、北条氏が政治的な都合で遠ざけ、それを政子の嫉妬として誤魔化したように見える。
晩年の政子は高野山の貞暁と丹生都比売神社で面会し帰依したとも伝えられており、丹生都比売神社には政子が寄進した琵琶も残されている。・・・琵琶?琵琶と言えば弁天様じゃないか!
と言うわけで、おそらく政子の所領が多く存在したであろう武蔵国の南部の宗教施設の整備を、政子が貞暁に依頼するような関係になっていて、貞暁は政子を弁天様のように崇敬していた、と私の脳内では結論づけられた。当たるも当たらぬも八卦だ。
それより、私の想像力は北条政子と貞暁に向かってしまう。政子にとって夫頼朝の浮気によって生まれた貞暁は、忌むべき存在で『吾妻鑑』では憎悪して遠ざけたようになっている。しかし、政子様の下僕である私から言えば、北条氏が政治的な都合で遠ざけ、それを政子の嫉妬として誤魔化したように見える。
晩年の政子は高野山の貞暁と丹生都比売神社で面会し帰依したとも伝えられており、丹生都比売神社には政子が寄進した琵琶も残されている。・・・琵琶?琵琶と言えば弁天様じゃないか!
と言うわけで、おそらく政子の所領が多く存在したであろう武蔵国の南部の宗教施設の整備を、政子が貞暁に依頼するような関係になっていて、貞暁は政子を弁天様のように崇敬していた、と私の脳内では結論づけられた。当たるも当たらぬも八卦だ。
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