相撲鳥のウノ
オリンピックの開会式では横綱の土俵入りがあるのだろうか?
今さら、オリンピックの中止を求める声が大きくなっているが、やるに決まっているし、やればやったで、無観客だろうと何だろうと、テレビで一所懸命見るに決まっている。わけのわからぬ御託を並べて、出来もしない中止など求めて、せっかくのイベントにケチをつけるより、素直に開催を心待ちにする方が良いだろう。
今さら、オリンピックの中止を求める声が大きくなっているが、やるに決まっているし、やればやったで、無観客だろうと何だろうと、テレビで一所懸命見るに決まっている。わけのわからぬ御託を並べて、出来もしない中止など求めて、せっかくのイベントにケチをつけるより、素直に開催を心待ちにする方が良いだろう。
日本人はお人好しが多いので、国際的組織を素晴らしい団体と思いこんでしまいがちだが、実際は、ろくなものではないことが多い。おためごかしの綺麗ごとを並べながら、内実は金権利権を漁っているのが、世界標準とさえ言える。
その一例とされるのがIOC、国際オリンピック委員会だ。彼ら、ヨーロッパ貴族の独り善がりを核にした元々感心しがたい存在だったが、身勝手なアメリカ合衆国のテレビネットワークに放映権を売ったり、スポンサー企業に金をせびったりして集めた金を、全世界にばらまいて、あやしい田舎スポーツ貴族をつくりだして肥大化、そうした国を代表するガラクタから集票して会長を選出している間抜けな組織に過ぎない、と見なす人も多いのである。
先だっては、アメリカで有力紙とされるワシントンポストが、そうした観点から、IOCのバッハ会長を「ぼったくり男爵」「地方行脚で食料を食い尽くす王族」「開催国を食い物にする悪癖がある」と痛罵し物議を醸している(スポーツ紙記事)。
もっともな批判ではあるものの、オリンピック委員会を増長させたのは、アメリカ合衆国のテレビメディアによる巨額の放映権とアメリカの大企業によるスポンサー収入なので、同国のメディアであるワシントンポストは、そちらに「損切り」を求めるべきで、開催国の日本にそれを求めるのは、少々筋違いではなかろうか。
このように開催国が中止を決めれば、「損切り」で済むと思いこみ、簡単にそのように主張する人が、日本人にも少なくないようだ。しかし、そうした人たちは想像力に欠けているように思える。もし、開催国の都合で中止などすれば、これまでかかった費用を損するだけにとどまらず、将来長きにわたって負債を背負うことになるとなると、どうしてわからないのだろうか?
もし、開催国の日本なり開催都市の東京都が中止『させた』ということになると、今後一切、オリンピック関係の発言力はなくなることくらいは覚悟しなければなるまい。あのヨーロッパの高慢ちき貴族の末裔気取りの連中からのイジメ行為は必然で、例えば、日本が得意とする種目の五輪種目からの排除、日本選手にとって不利な競技のルール変更、日本のメディア関係者への制限、などなど、彼らはイジメの矛先を向けてくるだろう。
つまり、開催国の主権者として中止を求めるなら、今後一切、オリンピックでの日本選手団の活躍に期待できなくなるくらいの覚悟が必要だ。そして、もちろん、政府レベルでは、国際公約の不履行という汚名を着せられることにもなる。その結果を想定できれば、いじらしいまでの生真面目DNAを持っている日本人は、国際公約違反だけは何を差し置いても避けねばならないと考えるはずで、日本人が日本政府を組織している限り、中止など出来ない相談である。
つまり、開催国の主権者として中止を求めるなら、今後一切、オリンピックでの日本選手団の活躍に期待できなくなるくらいの覚悟が必要だ。そして、もちろん、政府レベルでは、国際公約の不履行という汚名を着せられることにもなる。その結果を想定できれば、いじらしいまでの生真面目DNAを持っている日本人は、国際公約違反だけは何を差し置いても避けねばならないと考えるはずで、日本人が日本政府を組織している限り、中止など出来ない相談である。
本来、オリンピックに関するすべての権限は、開催都市にあるべきだが、実際問題としては、IOCと世界陸連の不見識な連中によりマラソン競技が北海道に移されたように、大した主体性がないのが現実である。つまり、小池百合子さんが、「五輪なんてムリ~」などと言っても、通るはずがない。
オリンピック開催は、事実上IOCに決定権があり、開催国などが中止させた場合、IOCは被害者として振る舞えることになってしまう。つまり、当事者のIOCが止めると言わない限り開催する他なく、そして開催しなければ金権利権の原資を失ってしまうあの組織は、決して、中止を自ら決断などしない。
したがって、マラソン開催地の決定に際しては、居丈高に口出しした諸氏が、そろいもそろって、揉み手せんばかりに日本国や東京都の開催にむけた努力を称えている。
海外からの選手団や応援団を、「おもてなし」する予定だったが、結果としてオリンピックは「持て余し」の存在となってしまった。この際、せいぜい持て余しを楽しむことを心掛けたいもので、持て余しでもより良いものにする努力を重ね、大会を成功させたいものである。
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