「年1回1羽のみ可」はデタラメ 2012/11
法律の規定において、個別具体的な事例を一々列挙することは、ほぼ不可能です。また、あまり細かく事例を挙げると、その規定に無いケースなら、他人の迷惑になっても構わないと信じる愚か者が現れ、かえって、その法律の内容が、反社会的な脱法行為の裏付けとされてしまう可能性もでてきてしまいます。従って個々の法律の文章は、曖昧な表現を残し、適用に際して解釈が必要になることが多くなるのです。
何かを行う際、それを規定する法律の内容が曖昧な場合、何らかの責任を伴う立場の人や団体は、厳格な解釈をしておいた方が安全です。例えば、ペットの「里親」募集の話なら、「社会性」「頻度・取扱量」「営利性」のすべてを有する場合、動物取扱業に登録しなければならないと、動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護法。なお以下引用では2013年9月施行予定の改正の内容を含む)に規定されていますから、「頻度・取扱量」のみでも、「営利性」のみでも、三つの要件の内の一つでも条件を満たした募集記事の掲載を禁止してしまえば、法律に反しそうな書き込みを完全に排除出来て安全となります。
さらに、「頻度・取扱量」適用事例として、「年間2回以上又は2頭以上」と、行政側が例示していたようですから、これを年1羽だけと解釈して、複数羽の募集を禁止してしまえば、違法と指摘される恐れは無くなります。つまり、「里親」募集掲示板の管理人としては、法律の内容など精査しなくとも、「有償禁止」とか「個人は年1羽のみ可」などと、その掲示板利用にあたってのルールとして設定してしまえば、安全で安心なのは間違いありません。
しかし、当掲示板の管理人は、そのような禁止事項を、掲示板独自の規則である「マイルール」として設定する必要を認めません。なぜなら、それが動物愛護を目的とした法律の本旨(第一条「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資する」・第二条1「動物が命あるものであることにかんがみ、【中略】、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない」)に基づいたルール設定とは到底思えず、むしろ、ペット動物個々の種別の習性を無視し、動物愛護に対する無理解を助長する間違った解釈だと見なしているためです。
もちろん個人的には、普通の飼い主が有償で「里親」募集を繰り返す必要はないはずで、繰り返すとすれば、おかしい、と思っています。しかし、個人の所有物を有償で取引することは、間違いなく日本国民の権利(財産権)ですから、それを簡単に否定するわけにもいきません。何しろ、自己所有物の処分は、「公共の福祉」に反しない限り、自由に行われねばならず、それを阻害する権利は誰にもないのです(日本国憲法第二十九条
「財産権は、これを侵してはならない」)。他人の迷惑にならない限り、自分のものをどのような条件で譲り渡そうと、それは基本的に自由で、それを阻む権利は誰にもない、それを認識する自由民主主義国家日本の国民である当管理人としては、当然ながら、他人の基本的な権利を制約するようなマイルールを設けることこそ、遠慮しなければならないと思っているのです。
もちろん、法律を制定する側は、愚かではないので、国の基本法典たる憲法に反し、国民の基本的人権を侵害するような規定を設けることは、通常、ありません。この場合も、三要件「すべてを有する」ような特別なケース以外は、所有物とみなされるペットの譲渡・売買の自由を束縛していないのです。つまり、一つでも当てはまれば適用されると、安易に範囲を拡大させてしまうのは、基本的人権を理解していない一部の勝手な思い込みに過ぎず、それは無知による過剰反応でしかないのです。
「年間2回以上又は2頭以上」とする行政側の曖昧な例示にしても、あくまでも「頭」の数詞で表現される生き物に対する事例で、それも年1回の募集なら、事業的な営利性を認めにくいとしているに過ぎません。これに対し、わざわざ数詞を脳内変換して、「羽」で表現される生き物に対する規定と勝手に想定し、さらに、「又は」と『or条件』で、どちらか一方という意味でしかないものを、あたかも『and条件』(日本語なら「及び」)と勝手な読み替えを行い、年に1回で1羽などとしてしまえば、まったく異なった意味になってしまいます。本来、例示はあくまでも例示に過ぎず、しかも数詞は『頭』ですから、常識的に考えれば、比較的大型の哺乳類のケースを想定した例示でしかないことは、明らかだと思います。それも、年に1回か1頭は認めていると読み取るのが、普通の感覚でしょう。もし、年1頭だけを認めるのであれば、年1回と別の条件を併記する論理的必然性がありませんから、年1回は一度の出産で複数出産する犬や豚などをイメージし、年1頭はほぼ1年1頭の子供を産む馬や牛の類をイメージしたものだ、といった程度に解釈すべきかと思います。
少なくとも、年2羽以上の里親募集は「動物愛護法」で禁止されている、などとする解釈は成立しません。むしろ、それは法律の規定にない逸脱した妄想によるこじつけでしか無いと思います。確かに、いわゆる「動物愛護法」は、飼い主が管理をせずに繁殖させ、その結果、しっかりと飼養されない不幸なペット動物が生じないためにも整備されてきている法律なので(【改正】第二条2「動物の所有者は、その所有する動物がみだりに繁殖して適正に飼養することが困難とならないよう、繁殖に関する適切な措置を講ずるよう努めなければならない」)、ペット動物の過度な繁殖を戒める内容を含んではいます。しかし、より良く飼育を引き継いでくれるはずの「里親」を、生き物の所有者である飼い主が責任をもって探すことに、公共の福祉に反する点は何ひとつ無いでしょうから、その行動は、自由民主主義の国において、束縛されるはずがありません。まして、動物愛護の観点に立つなら、責任をもって次の飼い主を探す行為は、推奨されこそすれ否定されるはずが無いでしょう。
「法律にあるから〜」と、我々法律の素人が、条文の一部のみを取り出して安易に論じるのは危険です。法律は現実と遊離して存在してはいけないので、実際の運用においては、その時代の社会常識に基づいて(公共の福祉に反するか否か、簡単にいえば、他人に迷惑をかけるか否か)、全体的な文脈から把握する必要がありますが、真面目な人ほど、バカ正直に法律の一字一句を追って常識を逸脱してしまいがちだからです。例えば、一頭の犬が妊娠すれば、複数出産することくらいは、誰でも知っている常識ですから、そういった生き物に対し、「1頭だけ可」などと規定すれば、現実離れしたものになることくらいは、誰にでもわかっているはずです。ところが、複数生まれた1頭だけ「里親」募集が出来て、兄弟姉妹犬のことなど知らない、とするのが法律だと、勝手な思い込みをして、その非常識に従ってしまったら、複数を産む生き物の生命を、どうして救えるでしょうか?犬なら犬の生態についてのごく基本的な知識を前提にすれば、1頭のみ可は非現実なのです。それを当たり前の前提としていれば、「年間2回以上又は2頭以上」は登録が必要と聞いても、年1回の募集程度は許容されると、無理なく理解できるはずです。そして、一方で、年に複数回も繁殖させ、その仔犬を有償で他人に譲るような行為は、日常的な飼育における偶発的な事態ではなく、営利を目的とする繁殖と認識すべきなので、しっかりと動物取扱業の登録を受けなさい、と、常識的な規定をしている法律だということも、無理なく理解できるのではないでしょうか?
例えば、自分の飼育する犬が、野良犬と交尾してしまった結果生まれた子犬の引き取り手を探す人に対し、「動物取扱業が〜」とか「実費も請求するな!」などと邪魔をすれば、まったくトンチンカンの非常識でしかなく、動物愛護精神に反する行為になりかねません。まして、愛護精神に基づき掲示板を設置しているような人が、誤った法律解釈をした上で勝手な思い込みから自主規制し(憲法違反ですけどね・・・)、ペット動物の幸福につながるはずの個人による譲渡を阻害するようでは困ります。不必要な繁殖を戒める啓発を行いつつ、偶発的な「里親」募集には、門戸を狭めないように留意したいところです。
そもそも、犬猫馬豚の類の繁殖では、意図的に交尾させる必要があり、不作為の繁殖は起きにくいはずです。また、繁殖を望まない場合、去勢や避妊手術も、比較的に容易に可能です。つまり、飼い主が繁殖させる明確な目的意識を持っていない限り、繁殖はほとんど有り得ないペット動物と見なせ、繁殖=営利性を持つことが多い、とも言えると思います。一方、去勢も避妊も不可能で、繁殖期以外も夫婦単位で行動し、子育ても夫婦共同で行い、しかも、感染病などの予防接種もなく、体重は25グラム、百円玉5枚程度に過ぎないのが、文鳥という生き物です。犬猫馬豚類と同じように考え、「年1回」とか「年1羽」などという発想するだけでも、滑稽ではないでしょうか?
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本来、個人の自由であるべき所有物の処分に制限が加えられるのは、常識的に考えれば、それが個人の日常的行為とは認めがたい場合に限られると思われます。どの程度が日常行為の範疇かを考える際、20万円以上の副収入は所得税の確定申告対象になる日本国の現実が参考になるかもしれません。これを基準とすると、純血種の犬なら1頭5万円程度としても、1度の繁殖で申告対象に成り得る程度の収入となりますから、2回以上は個人というより業者の営利行為と見なせることになります。ところが、この経済的な尺度を文鳥に当てはめれば、文鳥を2千円程度で売っても、1年に100羽以上でなければ、税制上の副収入に達しません(半分は経費とすれば2倍売らねばならない)。
税制的に副収入とは見なされない程度の瑣末な経済行為を、「法律的に規制されている営利行為」と見なすのは、かなり困難と言えるかもしれません。しかし、100羽も「里親」募集する行為が、個人的な趣味の範囲と言えるでしょうか?生き物の価値と値段は無関係ですが、現実に単価の違いが桁違いに存在しているので、それを同一レベルに置き換えるのには、そもそも無理があるのです。
それでも、もし法律が、それを作る官僚たちにしては、前代未聞の親切さで、個別の生物種に対する取り扱い頻度を想定し、何らかの具体的な規定をしてくれるなら、法治国家の一員である以上、それに従わねばなりません。もちろん、それがその生物種の生態も飼育実態を理解しない門外漢の無知蒙昧な作文であれば、憲法が定めるように、国民の一員であるはずの飼い主は、その改善を立法府などに求めるべきですが(第十六条「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」)、その悪法が改正されるまで、法は法である以上、違反は出来ません(現実に沿って法を運用するのが良吏、遵守するのは国民の義務、改善を求めるのは国民の権利だと思います)。しかし、幸いなことに、「年1回1羽のみ可」などと規定する法律は、現在まで存在しません。無いにもかかわらず、規定されているように思い込み、それを遵守して事たれりとするのは、奇妙奇天烈奇々怪々です。自律的、むしろ自虐的にそのようにするのは、個人の自由で好き勝手ですが、それを他人に強制してしまえば、よほどの厚顔無恥になってしまいます。
2006年の改正に際し、特にインコ類の飼い主の方を中心に、業者、それも多分に犬の繁殖業者を意識して規制された内容を、生真面目に基づく安易な思考で、本来営利を目的とするはずがない一般人の飼鳥に当てはめてしまい、ネット上に誤解を拡散させてしまったようです。しかし、動物愛護精神をお持ちの賢い方々には、そのような、たんに無知なだけのミスリードに踊らされ、存在しない規定で自縄自縛になり、動物愛護精神を踏み外さないように願いたいところです。もちろん、法律に規定されるまでもなく、人間に依存して存在するペット動物を終生飼育するのは、飼い主の責務です(【改正】第七条「できる限り、当該動物がその命を終えるまで適切に飼養することに努めなければならない」)。しかしながら、諸々の事情で飼育できなくなってしまうことも起こります。手放さなければならなくなった数羽の小鳥の引き取り手「里親」を探す人に対し、動物取扱業の登録をしていなければ〜、とか、「1回1羽」とか、「有償禁止」とか、まったく愚かな「マイルール」で門戸を狭めることがあって良いものか、主権を有する国民の一人として、責任をもって自分の頭で善悪をゆっくりと考えるべきでしょう。
この掲示板にも、時折、「有償禁止」とか「個人は年1羽のみ可」といったデタラメを無批判に信じ込み、法律にあるらしいと聞きかじっただけ受け売りを、当掲示板の禁止事項(応募目的以外のレス禁止)すら理解せずに、お節介な書き込みをする人が現れます。そのような人たちは、法律を守ろうとする真面目な人に相違ありませんが、それが基本的人権である個人の財産処分を妨害する行為になることを、しっかり認識しているでしょうか?それ以前に、自分のその行動の一体どこに動物愛護精神があるのか?をゆっくり考えて欲しいと、私は思います。人に人らしい生命尊重の気持ちを意識させてくれるペット動物の幸福のために、何が重要なのか、敵視している相手は、本当に動物愛護精神に反しているのか、「法律」違反だと無知な他人の勝手な思い込みを鵜呑みにしているだけではないのか、自分自身でしっかりと考えてから、責任をもって行動していただきたいところです。そうでなければ、動物愛護精神のない者が、動物愛護法に則ったような主張をするだけとなってしまい、やはりトンチンカンと言わねばなりません。
まとめ
【質問】「年2羽以上は禁止されている!」
・・・【回答】そのような、文鳥の生態を無視した法律は存在しない。
【質問】「個人の有償募集は禁止されている!」
・・・【回答】そのような、個人の財産処分の自由を侵害する法律は存在しない。